2010年1月4日月曜日

心の中では「ゆうコリン」と呼んであげる


ロスィオの情報どおり講師はラウールに変わっていました。
喜ばしいことだけど、僕の聞き取りが間違えてなければ、これからは一カ月単位で講師がローテーションするみたいです。
となると来月はみんなの嫌われ者、コリンか。まあ僕自身は全然嫌いじゃないからいいんだけどね。
他人の意見を鑑(かんが)みない、この「僕自身は全然嫌いじゃないからいいんだけどね」で過去にどれだけヤクザな日常を送る羽目になったことか、と思ったけどいいじゃないか。反省しません。

そんな僕はここ数年、人との付き合いにおいて思うことがあります。

「類は友を呼ぶ」、「付き合いを選ぶ」という言葉がありますが、王道(またはベタ)のステータスを王道の方法で手に入れる人間は、王道の道徳と王道の憧れを持ち、王道のセンスで身を固めているものだから、友達も王道かどうかで選んでいきます。
環境が人格形成をするように、こうして王道が習慣となり王道の成功のための、ジンクスよりもうちょっと有効そうな王道の振る舞いを身につけて王道街道(変な言葉)まっしぐらとなります。
王道王道うるせえ。

王道の逆を行く覇道、アングラ、オタクもまたしかり。

立場上いろいろな人間を見てきましたが、生産性の無い者との付き合いを避ける人間というのは、管理が優れていて物事を合理と計算で考えることができます。仕事もそつなくこなせるし、失言も少ない。プライベートの充実にも手を抜かない。

ただし、僕の好き嫌いに関して言えば。

ぼくと3回以上一緒に酒を飲んだ人間はほぼ全員が聞かされたクドい話なのですが、僕が小学校に上がる前から約10年住んだ町は田舎の新興住宅地で、他の学年の知らない子が歩き食いしているポテトチップなんかを平気で摘まみ食いするような、新興住宅地なのに下町風情の気質が漂うご機嫌な街でした。

そんな街だから放課後は知らない子も混じって缶ケリなんかをしたりするんだけど、日が暮れてくると田舎の新興住宅地らしく、ほとんどの家庭が門限の基準にしている町内会のチャイムが鳴り出します。
僕の家も門限には厳しかったのですが、どうしても盛り上がってしまって帰りづらい時なんかは、親からの体罰を受ける覚悟で同じノリの友達と「居残り」をするわけです。

そんな中、平然と「チャイムが鳴ったから」と帰っていくしっかりした子どもたちや、時たまいる、チャイムとは関係なしに「今からお母さんと出かけるから」と言っていなくなってしまう、今でいうマザコンが大嫌いでした。

僕は損得の計算ができる人間はそんなに嫌いではありません。
理屈っぽい人間もそんなに嫌いではありません。
でも、自分と世の中の常識に疑いや戸惑いを持たない、不自立な勘違い野郎が嫌いです。

いつか僕も目標のために簡単に付き合いを捨てる人間になるかもしれません。

あいつ、味はあるんだけど華が無い。
あのコの寂しさ、物語になるんだけど派手さが無い。
彼の憐憫(れんびん)、深いんだけど受けそうにない。
彼女の優柔不断、憂いがあるんだけど周りが納得しない。
とか言って。

自分の感性が正しいのか、世の中の「通説」や「経験」が正しいのか、ときどき迷います。

話は変わり、5年近く前のことです。
当時働いていた会社で主軸事業部の本部長になりたての頃、部下が大きな失態をしでかしました。
それを知った会社の社長が日曜の会議中、僕を呼び出して近くの喫茶店でその部下の解雇を告げてきました。
本部長に成りたてで彼のことをよく知ってもいない僕は、今思えば彼のためでも会社のためでもなく、おそらく自分自身のために自己満足な言い合いを社長と続けました。

「おまえは経営者じゃないからわからないんだ。経営というのはそういうものなんだよ。会社を守るために、今一度、会社全体を引き締めるためにこういうこと(部下の解雇)も必要なんだよ」
「見せしめのために一人の人間を解雇するなんてどうかしてますよ」
そう言うと、本人のためにもその方がいい、とか、おまえの指導力が足りないからこんなことになった、と社長が返しました。

「だったらぼくに懲罰を与えればいいじゃないですか。そっちの方がよっぽど会社全体が引き締まりますよ」
「おまえはまだ幼い。これだけ従業員のいる会社はそんなに単純じゃない。会社とは生き物なんだよ。とにかくおまえは経営者の考えができていない。経営を何十年もやってきた俺が言うんだから俺のやり方で間違いない!これはもう決定事項!」
と「通説」や「経験」を持って締めくくろうとしたので、
「それはいつの常識ですか!いつまでの常識ですか!これからの経営の考え方というのはひょっとしたら俺の方が正しいかもしれない。あなた、いつまでその考えで社長するんですか!いつまで社長するんですか!」
と負け惜しみに近い不躾を彼にぶつけました。

結局は部下はクビに。

今思い出しても、とても本部の責任者である人間の発言とは思えないくらい大人げないけど、この考えは時々「いいじゃないか」と思います。

あの時の「絶対」は今はもう通用しないかもしれない。
彼らの言う「本当」は僕には当てはまらないかもしれない。

とはいえ、狭い世界に閉じこもって自分を正当化しすぎるのはよくないので、これはやはり、ただの好き嫌いの問題にしておきます。

いずれにせよ僕の周りの馬鹿野郎やヤクザもんやアバズレたちは、みんな「愛すべき」と冠をつけられる色気たっぷりの男達女達です。

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