2009年11月29日日曜日

グッバイ

フラットに戻るとErikaが料理をしていました。
今夜このフラットを出て新しい棲み家に移るので、みんなにディナーを振るまいたいそうです。
名前は忘れちゃったけど、ブラジルで毎日食ってたフェジャォンに似た料理を作ってくれました。

このあと片付けは僕がして、何故かErikaにサルサを教わりました。
飲み込みの早さにいちいち驚かれて、最後に
「You're a specialist!」(←スペルあってる?)
と抱きつかれてほっぺにキスさせられた時には、ちょっと恋しました。
豊満なおっぱいを胸に感じながら。

写真は料理中にカメラを向けてもチャーミングなポーズをとるErika。


と、その5秒後油断しているヤツ。


グッバイ、エリカ。

お互いに連絡先を知っているし同じロンドン市内に住むのに、この先もう会わないような気がします。
この手の予感は結構当たります。

電車で見た3匹の犬はかわいかったな。


昨日から一歩も外に出てないことに気付いて、半ばノルマ的な気分で今日は午後から「ナショナルギャラリー」という美術館まで足を運びました。
何度がんばっても博物館にたどり着くというハズレを引くので、今回は学校の講師に確かめてからのトライです。
その甲斐あって今回はちゃんと美術館。

芸術には全く精通しておらず興味もそこまでない僕が、何故こうまでも美術館にこだわるのかというと、入館に一切料金がかからないという金銭的な魅力や、寒くない場所で暇をつぶせるという体質的な魅力も理由の一つですが、宮崎にいた時に出会った元プロミュージシャンにイギリスの美術館を熱心に勧められたからというのもあります。

嘘かホントか彼が言うには
「俺も最初は芸術なんか全く興味無かったけど、何度も通い続けているうちに芸術がわかってきてそのおかげで世界が広がったよ」
とのこと。

「どうせ土日が暇なのはバイトをしていない今だけなんだしせっかくだから」という、やはり貧乏性に促されてしばらくは美術館巡りをしてみようかなと思っています。
何年も昔に当時の彼女とおざなりに箱根旅行に行ったときにおざなりに美術館に入って、ピカソよりもよっぽど衝撃を受けたのに名前がうろ覚えの画家の絵にまた出会えたらいいなあ、などという、昔住んでた街を訪れた時に思う「昔の彼女と偶然ばったり出くわさないかなあ」的な浮っついた気持ちも多少込みではありますが。

とりあえず今日の美術館は、本館扱いの大きい建物の方はゴッホくらいしかテンション上がんなかったけど、別館じみた「ナショナルポートレイト」っていう方はそこそこ充実の品ぞろえ。
名前は忘れちゃったけど、無くなったジャズミュージシャンの肖像画を描いた何とかっていうアーティストにはなかなか心躍るものが。

ポートレイトというだけあってその他にも肖像画やらヘンテコリンな写真やらが飾られてあって結構楽しめていたんだけど、蜜月の時はそう長くは続かず、当然まあまあの割合で興味のない作品も巡ってきます。そんなものに一々「ほう、ほう」とシタリ顔をするのは面倒臭いし、オッパイが写ってるのばっかりジットリ眺める度胸もないのでそろそろ帰ろうかななどと思っていたところ、「BEATLES」の文字が書かれた看板が。

BEATLESはあんま好きじゃないとか言っておきながら、知り合いがほとんどいなくて心細さに満ちみちた結婚式に出席した時に、別に仲良くなかった旧友を見つけて心の安らぎを求めるかのようにがっついて話しかけちゃうがごとく、僕はその看板に近づいて行きました。

その看板によれば「写真で振り返るビートルズの歴史」みたいなコーナーが開催されているとのこと。
よしよし、ペルーでのことは水に流してやろう、もともと楽曲自体は嫌いじゃないしな、などと自分に言い訳をしながら表示をたどってコーナーへ。
しかしその入り口で料金が別途必要ということが判明(入館は無料だったから「別途」というのはおかしいんだけどね)。

「チェッ、こんなの詐欺だよ!天国のジョンも嘆いているよ!」
などと、チケットを購入するために受付に戻らなくてはいけない面倒くささと、受付での英語でのやり取りの自信のなさを、払えばわずか数ポンドであろう入場料を惜しんだことにして、うまい具合に貧乏性を利用しながらブツクサ言って帰りました。

断っておきますが今日も僕は一人です。

2009年11月28日土曜日

愛すべき乞食面


早いもので仕事を辞めてからもうすぐでまる一年。学生時代デパートの精肉コーナーでバイトを始めて以来、こんなに長いこと仕事をしていないのは、ブラジルに行っていたときを除けば今回が初めてで、自分の怠け癖に不安を覚えます。

「ニート」という言葉がすっかり定着しきった昨今ですが、この言葉がメディアに登場し始めたころのニートの有名なセリフで
「働いたら負け」
といったものがありました。
スタジオのMCやらコメンテーターは大いに眉をひそめていましたが、実はこれ、僕は納得できるものがあります。

単純に定義したくはありませんが仮に、寿命を全うすることを「善し」とし、自殺を「悪し」とするならば、人間の最初にして最大にして唯一不変の目標は「生きること」そのものだと思っています。

とはいえ、日本人の平均寿命は70年だか80年だかそこそこな数字。
呼吸と栄養だけで生きていければ、そりゃあタフで強い男(女)なんでしょうけど、なかなかそれは難しいから、みんな80年の時間を埋めるための「何か」を持ちます。

その「何か」とは仕事であったり夢であったり愛する人であったり趣味であったり人によっては宗教であったり、要はその人にとっての生きがいにあたり、もっと言えば哲学や生き方にあたるわけですが、「働いたら負け」の真意が、純粋に寿命だけを目標にして余分なものを一切排除することを「勝ち」とし、それをあきらめて充実を求めることを「負け」とする極論であったならば、僕もニートの意見に賛成してもいいというものです。(たぶん違うだろうけど)

通じる話でこんなことを思い出しました。
3年ほど前の岡山でのことですが、事務所であり自宅であるマンションの一室で野菜スープの味付けに苦闘していました。
野菜そのものの味を活かしたいという薄っぺらいイマドキな考えはさらさら無かったのですが、調味料を出来るだけ使いたくないという極度の健康マニアと貧乏性が手を組み、僕は「塩以外の調味料を使ったら『負け』だ」と頑なに考えていました。

それを前提にして、事務所に残っていた部下の『ホームレス』に料理のノウハウを尋ねました。
『ホームレス』は元プロの料理人で、高級懐石料理だか何だか和食を10年経験したのちに自分の店を出したという正真正銘のスペシャリストです。
そんなわけで元ヘボバーテンダーが泣いて喜ぶようなアドバイスを期待していたのですが、「塩以外は負け」の考え方は職人の気質と一緒ですよ、という前置きに続いた返答は意外にも非常にシンプルなものでした。

「うまけりゃ何入れてもええんちゃいます?」

京都弁でさらり。
聞くと、職人たちが嫌う代表的な化学調味料、味の素すらも意に介さない様子。
「最近の化学調味料はよくできていて、プロでも識別できないものもありますよ」
だって。

部下でありながらなかなか尊敬のできる男でした。

こんなことを思い出していたら『ホームレス』から久々のメールが。
なんか目に見えないもので繋がっているのか、こいつを思い出すたびに連絡が来ます。
気持ち悪い。

とは言え、やはり持つべきものは気の合う元部下と、尊敬できる元上司と、友達と、教え子と、親兄弟と、悪徳税理士と・・・あと、持ってないけど可愛い嫁さんと子どもと・・・

持つべきものが多すぎるか。
ニートに言わせりゃ大敗北もいいところです。

電話ボックスはテレフォンブースという。たぶん。


昨日、学校で「cash back」という貯金の引きおろし方を教わりました。
スーパーなどのレジでクレジットカードでの支払いができるのは日本でも当たり前ですが、それとは別にカードで自分のお金を下ろすようにレジのお金を受け取ることができるというシステム。
これ、知らなかっただけで日本でも常識なのかなあ。

何か新しい技術の出現を目の当たりにするたびに、ちょいちょいそれを否定的に見てしまう保守的な部分が僕にはあるのですが、その嫌いが一番強かったのは携帯電話に対してでした。

携帯電話を持つことにより電話をかける行為そのものが身近になるせいで、失ってしまう語れるべき「はなし」や「感情」があるだろう、と年寄りの傲慢のような気持ちがありました。

煙草を吸わない僕は煙草に関する「はなし」を持っています。
大多数の人達と同じく酒に関する「はなし」を持っています。
そして同世代の人間ならほとんどが経験している、公衆電話でのドキドキを覚えています。

携帯電話の普及率もかなりのものになったころ、バイク乗りの不良少年が公衆電話から電話をかけている姿を見かけました。
背中を丸めながらのその様はなかなかロマンチックでした。

ダチ公にかけてるのかな。
ナオンにかけてるのかな。

その絵面を客観視して、しかし主観的に自分に酔えるナルシシズムを大事にしろよ。
携帯電話よりも先ず、肴になるネタをいっぱい持てよ。

僕も多感な年齢を一度でも生きている人間なので、様々なものに関するドラマや思い出があります。中には電信柱に関するものなんてのもあります。

ブラジルで一年間想い続けてきた女のコがいたのですが、ある晩他の女とねばっこいキスをしてるところをそのコにバッチリ見られました。
その時反射的に隠れたのが電信柱でした。
とりあえずキスは無かったことにして、その週のうちに本命のコに告白をしたんだけど、やはりバッチリふられました。

ダメだ、このネタ全然自分に酔えない。

2009年11月27日金曜日

ナイスガイ・サミー


今日はルームメイトのサミーが中国に旅行に行きます。
20日間ほどの長旅になるので、一旦フラットを解約するそうです。
戻ってきたら不動産屋には内緒でダイニングのソファーに棲みつく予定です。
さすがは腐っても南米人。

今、彼は支度中。
いなくなったら彼のベッドに移ろう。
窓際だし暖房のそばなので。

ビートルズの思い出


記憶が正しければ10年前の2月だったと思います。
その数ヶ月後、地元の祇園祭りのポスターに、後に極太(ごくぶと)の彼女となり嫁となる『べっぴん』が抜擢され、僕が極太や『チャンピオン』と出会った年の2月。世間ではノストラダムスのなんちゃらで騒がれていた年の。

2月13日、土曜日。場所はペルー。南半球の熱い日差しの下。
その日の午前の紅白戦に悪い意味での手応えを感じていた僕は、午後のひと時を沈んだ気持ちでプールで過ごしていました。

当時僕は日系グループを親会社に持つ、ペルー国内2部リーグのサッカークラブで毎日練習をしていました。
これも成り行きっちゃあ成り行きで、ペルーに着いて最初の何週間かは親会社の会長宅に住んでいたんだけれども、しばらくしてこの会社が所有するスポーツパークみたいなところに移ります。
そのパークは周囲を高い塀と分厚い門に囲まれて、内側にはサッカースタジアムやベースボールスタジアム、テニスコートからゲートボール場まで、他にも屋内外にありとあらゆるスポーツの施設が揃っていて、その会社のオフィスやら銀行やら、さらには大学までもが敷地内に設備されていました。

僕はベースボールスタジアム内のコンセントレーションルームに独りで住み、会長の計らいで、本来あらゆる施設の入場に料金が課せられるところを、特別に無料で行き来できるようになっていました。

その日の午後、フィットネスジムで軽く汗を流した後、すぐ隣のプールで午前の紅白戦を振り返りました。
そして前夜にチームの監督と交わした会話を思い出します。
「紅白戦で、今後の君の処遇を決める」

落ち込んでいても埒があかないので、僕はプールを出て、そのまま監督のいるオフィスに向かいました。
オフィスで監督に早口のスペイン語をまくし立てられた後、
「戦力外」
を通告されました。

これは同時に、何日かしたら今の棲み家を出ていかなくてはいけないことを意味します。

失意の中、その晩僕は、チームスタッフに誘われてプッタ(売女)を買いに行きました。
ここでもなかなか魅力的な『男爵』との出会いがあったのですが、話がそれるのでまたの機会に。

売春宿から棲み家に戻ると、パーク内ではバレンタインデーと何か関係があるのか、フェスティバルを開催していました。
ベースボールスタジアムの隣のフットサル場をダンスフロアにして、バカでかいツイーターやらウーハーから吐き出される轟音に合わせ、みんなノリノリで踊っています。

疲れていた僕は自分の部屋に戻りますが、ツイーターの高音がうるさ過ぎて、ウーハーの低音が響きすぎて、全く寝つけません。

その時かかっていた曲がビートルズでした。
しかもわずか7、8曲のレパートリーをエンドレスにリピート。
夜9時から明け方4時までのビートルズ無間地獄でした。

一睡も出来ずに心身ともにくたばった翌朝、日本との時差を考慮しながら遠距離恋愛中の彼女に公衆電話から電話をかけました。
活字にするのも嫌になるような男女間の悲喜こもごもならぬ悲怒こもごもがあり、お互いにケチのついた恋愛関係でしたが、こんな時には大いに慰めてもらおうかななどと自分の我がままに浸り、コール音を待ちます。
しかし、コールの後に聞こえてきたのは彼女の声ではなくオペレータの無機質な声でした。

「おかけになった番号は現在使われておりません」
といった内容をスペイン語と英語の説明に続いて日本語で聞き、僕は震えながら受話器を置きました。

原因は彼女の移り気です。
僕は部屋に戻り、ぐったりと寝込みました。

よくある話ですが、あの晩、運悪くかかっていた曲がビートルズだったというチンケな理由のせいで、僕は今でもビートルズがあまり好きではありません。

ところでこの話、素直に物語の主役(僕)に同情できないのは、女を買いに行っちゃってるとこだよね。
が、事実なんて得てしてこんなもん。

2009年11月26日木曜日

Nice to meet you.


最近は、フラットへの人の出入りが激しく、メンツが多少変更しています。
カマトトのアメリカンは先週いっぱいでいなくなったし、最後まで名前を覚えられなかった白人のコロンビアーナはいつの間にか見なくなったし、隣の3人部屋の一人、陽気なコロンビアーノもいなくなったなあなどと思っていたら、さっき久々の再会。
エジプト旅行に行ってたみたい。

去る者の代わりに来る者も。
今週からここに住みだしたのは、マダガスカル人のスーフィーちゃん。
が、特筆することは無し。

今週いっぱいでお気に入りのErikaもここを出ていくことに。
ジャパンセンターのフラット情報を見に一緒に行ったり、訳してあげたり、Google mapで場所を調べたりと、今週はいろいろお手伝い。
昨日、やっと職場の近くという好条件の物件をゲットしました。

寂しくなるけど元気でやるんだぞ。
健康には気をつけろよ。
歯、みがけよ。

2009年11月25日水曜日

本日も地下鉄日和


ダウンジャケットにマフラーを巻いた女とタンクトップ一丁の男という組み合わせのフランス人カップル。
上下の安物スーツで何故か頭にサングラスをのっけているダサい白人。
首を振りながらノリノリでipodを聴き、しかし目だけは「マジ」でipodの画面上のソリティアを睨んでいる黒人女性。
大型犬をそのまんまで連れ込んだヒッピー風の白人。
酔っ払って歌い始めたどこかのサポーター。
ホモ面のタイ人。
本日も地下鉄日和なり。

リックドムみてえなふってえ足をした女のコが電車に乗ってきました。
その丸太のような足には素敵な織柄の網タイツが。
よく見ればその柄はオシャレな薔薇模様。
左右に引っ張られている分、上下には押しつぶされているみたいで、これもある意味「押し花」だな、などと独りごちてジャパニーズ文化を頭ん中で回帰させてました。

リックドムで思い出したんだけど、小2の金毘羅祭りのとき、幼いころから徹底的に刷り込まれた貧乏性が災いして、母ちゃんから特別にもらった500円をまんまガンプラに使い込んだ挙句、それを縁日のどっかに置き忘れてくるという小2には応える失態をしでかしました。

モビルスーツだかモビルアーマーだか失くしたガンプラを嘆きながら、そのことについて何故か兄ちゃんにこっぴどく説教されたのを覚えています。

そんなチンケなトラウマのため、ガンダムはあまり好きではありません。
似たような類いの理由のため、ビートルズもあまり好きではありません。

二つの駅を過ぎてから薔薇タイツの彼女が降りていきました。
彼女に限らず、太っているのにヘソ出しのシャツを着たり、肌が汚いのにキャミソールを着たり、と外国人女性には潔いのがやたらといます。

それが結構好きです。

2009年11月24日火曜日

マザコン


博物館の中では誰もが厳かにしており、ipodを聴きながら観てまわっているのは僕くらいのもんでした。

BGMに「三代目魚武濱田成夫」のアコースギターと後味残る声を聞きながら、というよりはそっちをメインにしながら歴史的価値の高い絵を眺めて、いつかのテレビで言っていた、明和電機さんの言葉を思い出していました。
確か「たけしの誰でもピカソ」での素人の作品に対するコメントだったと思います。

(その素人さんに血液型を尋ねたところ、AB型という答えが返ってきて)
「ああやっぱり。実は僕もAB型なんですけどね、AB型の良くないところはね、溢れる感性や感情だけが先走って、わがままに作品を作ろうとしちゃうところ。相手に伝えるための技術を使わないといい作品にはなりませんよ」

とまあ、こんな内容だったと思います。
血液型云々は置いといて、これ、少しきつい解釈をすれば
「何を思いつこうが何が溢れようが勝手だが、それをきっちりと表現するためのテクニック、技術、手段、等々、呼び名は様々だが、要は良い作品として評価されるための『術』を用いないとただの自慰行為になる。そしてそれを怠った造り手は、いくら想像力が素晴らしかろうが、そんなのは天才でも何でもない。そんな人間は掃いて捨てるほどいる」
ということなんでしょう。

これは芸術に関わらず全てのことに置き換えられると思いました。
そして掃いて捨てるほどいる「他と違った何者か」になりたかったあの頃、この言葉は少し響きました。
才能があるならその証拠を見せろよ、と詰め寄られた気分でした。

そしてこれは何も専門的な話ではなく、人間社会の意思伝達や感情表現にも、少なからず技術といったものが必要とされ、そして個人差はあるにしろ自分の思いを、頭の中を、心内を100%完璧に相手に伝えることは当然不可能なわけで、まるである種の孤独を浮き彫りにされた気分でした。
そしてそう感じた自分のわがままな甘えっ子ぶりに苦笑いをしてしまいました。

ちょうどそのころはペルーに発つ直前の時期で、時を同じくして幼馴染でライバルの『サーファー』が、いい歳こいていつまでも夢だの何だのと言っている人間に関して、こんなことを言ってました。

「おまえの場合はまだ、サッカーだから幸せだよ。スポーツは体力や年齢の限界がまだ自分でわかりやすい。これが音楽とか芸術とか芸能関係だったら、辞め時がわからないよ」

この数カ月後、ペルーから帰ってきた僕は第一希望をあきらめました。

僕のたいていの友達は僕の数歩先を行っています。
そして困ったことに、僕はそれに対して羨みがありません。

2009年11月23日月曜日

ザ・ジャパニーズ


ロンドンに来て2日で気付いて2週間で確信して3週間目で駄目を押したことがあるんだけど、ロンドンに住む日本人には他の日本人を見たときに何だか気まずい雰囲気で目をそらす人がやたらといます。
これ、何なんだろうなって思ってちょっと考えてみました。

「イギリスに留学している日本人」ていう立ち位置を、旅行気分というか夢見心地気分というかそんな風にふわふわ味わっているときに、急に「俺はお前のこと知ってるぜ」と言わんばかりの同じ国籍の同じ立ち位置の人間が現れて、露骨に現実に戻される感覚が嫌だということなのだろうか。

例えるなら、わざわざ沖縄まで能天気なトロピカル気分を味わいに来たのに、ビーチで自分と同じ海パンはいてるヤツを見かけちゃう、とか。ディズニーランドに遊びに行ったら同じ刺青しているヤツがいた、とか。そんな感じなのかな。

でも、ブラジルにいた時は別にそんなことなかったのに・・・なんて思っていると、不動産屋でバイトしているあんちゃんがこんなことを言ってました。
「ぼくの今住んでいるフラットには日本人しかいなくて、日本語ばっかり喋っちゃうからなかなか英語を覚えられないんですよ。だからできるだけ日本人とは付き合いを避けたいんですけどねえ」
なるほど。そういうことか。ちょっと謎が解けた気分。

ちなみに、こうとも言ってました。
「そもそも日本人は日本人同士でつるみ過ぎですよ」
これはどうだろう。
何も日本人だけではない。うちのフラットではコロンビア人同士でつるんでるし、日本にいるペルー人の友達はペルー人同士の社会というものを持っているし、そもそも世界中に、その土地における外国人のコミュニティというものは無数に存在する。華僑がわかりやすい例だ。

これは海外に移籍したスポーツ選手なんかでもいるけど、もともと日本人であることのコンプレックスが強いのか、オノボリさんみたいな感じになっちゃう人がたまにいるね。そのコンプレックスがゆえに、急に日本人の日本人性みたいなものを極力排除しようとする人が。悪い意味での田舎者気質というか、ダメなOLにちょいちょいいる、おしゃれスポット至上主義者みたいな感じの。

これ、同じ黄色人種でも中国人や韓国人にはそんなイメージないなあ。

なんて思っていたら、あんちゃん、こんなことも言ってました。
「ぼくは初対面の日本人にはできるだけ英語で喋ってくれってお願いしています。そうすると理解してくれる人はちゃんと英語で対応してくれます」
なるほど。これがまっとうな流儀だろうな。

スマートにならないように、片付けが出来すぎる子にならないように気をつけよう。

そう言えば十代のころ、さんざん日本人差別に合ったとき、
「バーカ、日本人は世界一頭がいいんだぜ!!」
ってよくうそぶいていました。

そしてぼくは黒人のことを差別用語で呼べる日本人でした。
ブラジル人から物をもらえる日本人でした。

2009年11月22日日曜日

ハイカラ


Elica(エリカ)のスペルは正しくはErikaでした。
ちなみに名字は『Tamayo』。どっちも日本人のファーストネームみたいで覚えやすいね。スペイン語読みだから「タマージョ」って読むんだろうけど。

そのErikaに借りたマップを頼って、今日はV&Aギャラリー(名称不確か)というミュージアムに一人で行ってきました。
この前、美術館と博物館の間違いでさんざんな思いをしたので、あらかじめErikaに「絵が見れるところ」ということを確かめてから行きました。

ただなあ、実際着いてみて、確かに絵はこの前のところに比べたら格段に多いんだけど、何て言うか、歴史的価値の高い芸術作品みたいなのばっかりなんだよなあ。
宗教に絡む絵画ばっかで、説明書きを読んでみるとやはり何百年もの昔の作品だらけ。
僕が求めていた、いわゆる近代アートや現代アートというものは一つもありませんでした。
結局ここも博物館なんだよね。

仕方なしにちょっとでも興味を持てそうな場所へと館内を散策していたら、楽器のコーナーが。
そのコーナー内の展示物の一つにハイカラな縦笛を見つけて、僕はアキラさんの根性焼きを思い出すよりも前に、いつかの南半球で読んだ、日本の川柳を思い出していました。

『好きなコの  たてぶえ入れる  けつの穴』  ― 詠み人知らず
                

博物館に二回も来てわかったことは、僕は博物館がまあまあ嫌いだということです。

Tubeに乗って


                 地下鉄に乗って


         なんとか&なんとかギャラリーというところに行き




                  公園を横切り


                  見えてきたのが




                 バッキンガム宮殿。


          このあと高くてまずい中華を食って帰りました。

                お、何だかブログっぽい。

2009年11月21日土曜日

ハッピー


今ごろ日本では極太(ごくぶと)の結婚式。
見てのとおり出来ちゃった結婚。

職業がら何人もの乳児を見てきた中で、この赤ちゃん、女の子なんだけど最初は奥さん似で、歴代一位と言っていいくらいの美人だったんだよなあ。
それがちょっと目を離したスキに、勝手に親父似になってやがんの。あーあ。
この話、本人たちの前でうちの母ちゃんに聞かせたら、ほぼ初対面であるにも関わらず、うちの母ちゃんも「あーあ」だって。

幸せな家族になってちょうだいな。

2009年11月20日金曜日

しょうもない。


眠れない夜には羊の代わりにくだらないものを数えてしまいます。
昨日の場合はことさらくだらなく、「過去の女のコ」。

中には名前すら覚えていないコもいて、これがなかなか大変。
キリのいい数字や恋人になったコなど、節目節目では覚えているんだけど、それ以外の順番はややあやふや。
 
「えーと、このコは本を出版した頃のコで、このコはコーチをやる前に知り合ったコで、あと、このコは・・・いつ頃のコだっけ?」
などと途中からムキになって、暗がりの中でノートを開き、年号や自分の年齢まで記しだす始末。もはや「女のコ回想記」なるリストを作ろうという勢い。
が、それでも全員は思い出せない。
ついには日本で使っていた携帯電話までチェックしだして、覚えている限りの女のコたちを出来るだけ時系列順に並べていき、節目が正しければあと一人で完成というところまでたどり着いたのが午前3時。(何の完成だか)

「ペルー以降バーテン以前ってところまでは絞れてるんだけどなあ」などと、そこから30分ほど粘ったんだけどどうしても思い出せないので、自分の記憶違いということで無理くり片づけて、モヤモヤを残したまま眠りに就きました。
相変わらずのバカっぷりだね。

そんな事だから、疲労を大いに残したまま朝のサッカーをこなしたんだけど、恒例の筋肉痛と打撲痛に足を引きずりながらのその帰り道、黒塗りのデカい車に乗っかったマフィア風味の野郎たちを見かけました。そのたたずまいの酒楽臭さに見とれて、しかし目が合った時は見事にそらしながら、日本で出会った愛すべき極道たちや愛せない極道たちを思い浮かべました。

あ、思い出した!
ヤクザの元カノだ!
その時僕は思い出しました。
午前3時半、最後まで思い出せなかった女のコをです。

彼女は、僕の火遊び史上最高のお世辞の一つである、
「ヤクザよりすごい」
との言葉をくれた愛すべきアバズレでした。

ただごめん。名前はおろか顔も思い出せない。

眠れない夜に女のコを回想するのはもうやめにします。

2009年11月19日木曜日

冬の花火、夏の花火


クラスメイトの人妻コロンビアーナのRocioが写メを送ってくれたから思い出したんだけど、そう言えばこの前、みんなで花火を見に行きました。
ガイ・フォークスとかいう昔の人を祭るだとか、そんな意味合い(ちゃんと覚えてない。そもそも興味が無かった)のちゃちい花火大会がロンドン中の各所で行われてました。
その一つのカナダなんとかとか言う河川敷(ごめんやっぱ覚えてない)の公園にぼくらは行きました。

醍醐味の一つでもある花火の爆発音をかき消すように、なぜかクィーンをBGMに流し、かなりの至近距離にあがる風情もヘッタクレもない花火を眺めながら、ぼくは9年前にアキラさんと一緒に見た、その年の打ち上げ数日本最多の花火大会を思い出していました。

アキラさんは元ヤクザでした。
少年時代、地元の県警や鑑別所にお世話になっていました。

アキラさんは少年時代に自分でつけた、またはヤクザに監禁されたときにつけられた根性焼きが、両腕に多数あります。悪い方の部分での逸話をたくさん持っている人ですが、その根性焼きがうまい具合に左腕の縦一列に並んでる部分を縦笛に見立てて、その穴(根性焼き)をもう片方の指で押さえながら
「ピポピー、ピーポーピーピポピプピー・・・」
などと口で『東京砂漠』を奏でるという、内山田洋もガックシの疑似ギャグを初対面の人にやる、とてもお茶目な人です。

アキラさんとぼくは後にテレビ沙汰になる、とある会社の先輩と後輩という関係だったのですが、ぼくらはとっても仲良しでした。そしてぼくはアキラさんに憧れていました。

この花火の1年後、アキラさんは両目を失明します。
そして離婚もします。

その後もぼくらは時々会っていましたが、その時こんなやり取りがありました。
確かぼくがバーテンを辞めて次の仕事につくまでの間のことだったと思います。

「おまえ、社長(二人が勤めていた会社の社長で、彼の母でもある)から金も出させるからよ、暇なときは出来るだけ俺に会いに来てくれねえか。この近辺にはもう、おまえしか友達がいなくてよ」

「何寂しいこと言ってるんですか。いつもカラオケ代とか飲み屋代とかアキラさんに出してもらってるじゃないですか。それ以外に金を出すって言うんならぼくはもう会いに来ませんよ」

「でもおまえも今、仕事なくて、ちょっとでも金があった方がいいだろ?」

「それとこれとは別の話ですよ。ぼくは自分の好みで会いに来ているんです。ぼくは薄情な人間だから、同情とか義務感ではいちいちアキラさんに会いに来ませんよ。めんどくさい」

「ハハ、ひでえ野郎だな。・・・今、こんな目になったからアレだけどよ・・・目が正常な働きしてたら、俺、今泣いてるぜ」

「自信持ってくださいよアキラさん。ぼくはアキラさんに憧れてるんですよ」

「それは事故を起こす前の俺だろ?」

「違いますよ。いい女もそうだけど、いい男は歳をとるたびにいい男になっていくんですよ。つねに一秒ごとに右肩上がりに男前になっていって・・・昨日も男前の完全体だったはずなのに今日はさらにバージョンアップした完全体になってるっていうか・・・ほら、逆の例でわかりやすく言えば、昔痩せてて可愛かったけど今デブのピンサロ嬢とかいるじゃないですか。あいつら、何でか知らないけど絶対、痩せてて可愛かったころのプリクラとか持ち歩いて自慢するじゃないですか。だからどうしたっつうのに。何の足しにもならねえってのに。わかります?アキラさんはそれの逆です。」

「ハッハッ、相変わらずおまえの例えはひでえな」

「まあ、ようは自信を持ってくださいってことですよ」

どこまでが正しい記憶でどこからが勝手に塗り替えられた記憶か。
全部正しいのか、または逆か。

今となっては曖昧です。
この二年、アキラさんとは音信不通です。正確には音信不可能です。
連絡が取れなくなり、生きているかどうかもわかりません。

アキラさんを探さなくては。

医者に「癌の疑いが」ってハッタリかまされたあの時、明日に何一つ残さない生き方をしようと思ったのに、これだけが大きな宿題として残ってしまいました。
英語よりも、仕事よりも、女よりも、夢よりも。
教え子と同じくらい大切で大きな宿題です。

2009年11月16日月曜日

初めての街で


昨日、講師のRaulに誘われて、彼が午前クラスの教え子のタイ人に呼ばれた、サッカーサークルみたいなものに参加してきました。

初めて地上の電車に乗って、人に道を聞きながらグランドに着くこと10分遅れ。が、Raulはまだ来ておらず、仕方なしにぼくはどれがRaulの教え子かもわからないまま、タイ人軍団のサッカーに参加です。

毎朝の黒人たちに比べれば全員素人同然でしたが、昨日のビールがたたったのか、開始1分のファーストプレイで両腿をつったぼくにはちょうどいいレベルでした。
ゲームではゴールも決めたし、靴づれや膝の状態も悪くないことが確かめたし、そこそこ充実して帰りました。

Raulは見事に来ませんでした。まあ、読めてたけどね。

2009年11月15日日曜日

野良


ここロンドンにおいては、猫よりもリスの方をよく見かけます。
ちなみに狐は2回ほど見たことがあるんだけど、ぼくよりも遥かに長い期間住んでいる他の住人たちは一度も見たことがないんだとか。
何だか得した気分。

2009年11月14日土曜日

愛すべきロクデナシ


ダイニングのソファーにくつろぎながらの早朝勉強中に、後から起きてきた住人たちと一言二言交わすのが毎朝の習慣になっているんだけど、9時過ぎに起きてくるElicaに必ずコーヒーを勧められ、それを一緒に飲むのがここのところの日課になっています。何度言ってもコーヒーをがむしゃらに濃くするので一昨日は紅茶にしてもらったけど。
そのティーブレイク中に二日に一回の割合で、彼女はぼくにロンドン観光を勧め、もう一方の二日に一回の割合で、仕事を勧めます。
仕事の内容は日によって違うんだけど、一昨日はバーテンダーだったなあ。

今から7年ほど前に、説明するのも面倒くさい成り行きで、新規のバーの立ち上げを企画することになりました。
オープニングスタッフを採用した直後にもともとのオーナーがトンズラこいたので、人材はそろっているのに新しいオーナーを見つけなくてはいけない、という順序のおかしいスタートを切りました。
いろいろ奮闘したのちに、知り合いの不動産屋の社長を捕まえて、彼に出資をお願いしました。ちなみに現在この社長は借金抱えて行方知れず。

彼の出資の条件に
「おまえが現場の責任者をやるなら」
という前提があったので、こうして完全未経験のバーの店長が出来上がりました。
何かわかんないけど、シェイカーに米を入れてシャカシャカ振る練習なんかしてたっけ。

あの頃、たくさんの愛すべきバカと愛すべきアバズレに出会ったけど、
出会いには非常に恵まれていたなあ、などとちょっと年寄りじみた回想。
何かの話の流れで、自分の部下たちに
「うちのバー、どうしようもない人間の集まりだけど、葉っ〇とかいった類いのことは誰もやらないからえらいよな」(←別にえらくない)
みたいなことを言ったら、一人の女子スタッフが「以前、それが原因の入院経験がある」とのこと。
さらにもう一人の女の子は現在常習しているとか。

あはは、と苦笑いしていたら、パパイヤみたいな顔した厨房スタッフが
「俺、育てたこともありますよ」
だって。
あーあ、こんなんばっか。

とりあえずElicaにはやんわり断っておきました。
一昨日の午後から彼女はスペインに訪問中。何日間か息子と彼氏と会ってくるんだって。
メール送るね、なんて言ってたけどまだ一通も。
たぶんこないなこりゃ。

2009年11月12日木曜日

昇級


今日、授業の後で
「あと何週間かしたら中間レベルのクラスに行きなさい」
とベネズエラ人の講師、Raulから言われました。
日本にいた時からそうだったけど、ぼくは時折そこそこ英語が話せる人と勘違いされます。

今のクラスでちょうどいいのに、とも思ったけど、あんまりのんびりしてられる身分でもないので素直に喜んで頑張らきゃな。
写真は講師のRaul。いいやつ。たぶんスケベ。

2009年11月11日水曜日

土壇場の言い訳


わずか10ポンドでスパイクを買うという丸出しの貧乏性がたたり、昨日、靴づれの範疇を悠に超えるくらいザックリ皮膚が剥け、その痛みで今日のトレーニングは開始わずか5分でリタイア。写真はそのホームグランド。
塗り薬を買おうと、薬局の場所と靴づれの英語訳をコーチに聞いてから、財布を取りに一旦フラット(アパート)まで戻りました。

道中、右膝もまあまあ腫れているのに気付くという要らないオマケまで。

あんちきしょうにふっ飛ばされた時かな、こんちきしょうに踏まれた時かな、などと腫れの原因を探りながら、チームメイトのフィジカルの強さを回想していると、ついつい行き過ぎて
「いや、ブラジルの時のチームメイトの方が強かったぜ」
などとやはりついつい、もう会わなくなった者たちの方を過大評価してしまいます。

ところで、かなりの偏見と親しみを込めて言わせてもらえば、ブラジル人の約9割が男女ともにスケベ大好きっコなんですが、ブラジル時代、最も仲が良かったチームメイトの一人にデッカォンという愛すべきスケコマシがいました。

彼はドナルドダック似の愛くるしい目をしたブロンズヘアの白人で、女受けが非常によく、ルースィアというこれまた非常に可愛らしい恋人がいました。
ただ残念なことにルースィアは愛すべきアバズレではありません。
いつもデッカォンの後ろに隠れてはにかんでいるような、まるで人見知りの日本人のようにか弱い女の子です。歳も大分若く、デッカォンが言うには、彼女にとってはデッカォンが初めての男だったらしく、デッカォンしか目に入らないくらい一途なコでした。

そんな典型的なブラジレイロ(ブラジル人男性)と例外的なブラジレイラ(ブラジル人女性)の組み合わせを町中が暖かく見守っていました。
「町中」と言ったのは大袈裟ではなく、実際小さな町だったので「誰が誰と親戚関係にある」とか「誰が誰と付き合っている」といったことから、ぼくのことまで「いつ頃、どこからこの町に来たか」なんてことをみんなが知っていました。

そんな小さな集落のような町の人から見守られていた小さな恋も、終わりは突然にやってきます。
いや、あのときの二人の別れを「突然」と思ったのはおそらくルースィア一人で、デッカォンの女ったらし加減を思えば、だれもが「必然」と思ったことでしょう。

別れの理由は「必然的」にデッカォンの移り気です。
まあよくある話だな、と町中がいつものように無責任に飽き始めたのですが、この話には微笑ましい続きがありました。

デッカォンに振られてから2日と経たないうちに、ルースィアは煙草を始め、更にはノーヘルで50ccのカブにまたがるようになり、町中の彼女に対する代名詞は「はにかみ屋」から、「カブをぶっ飛ばす女」に変わりました。

そんなことを知ってか知らずか、ノーテンキなデッカォンは新しい女のケツをガッツリ追いかけています。
その日も、午後のトレーニングが終わってから、デッカォンは新しい女とデートをしていました。
きっとバッチリ決め込みたかったのでしょう、練習終りのシャワーの時、ぼくらチームメイトに夕方のデートの予定をはしゃぎながら自慢していたのをよく覚えています。
そしてぼくを含めた暇なチームメイト数人は、デッカォンの快諾の元、彼の新しいターゲットを見るために彼らのデートを見物しに行くことにしました。

歩き慣れた表通りを少し離れたところで、エロづらのデッカォンが大して可愛くない女の手を握りながら歩いています。だらしなく。ただひたすらだらしなく。
と、そのとき、ここ4、5日ですっかり聞き慣れたエンジン音が聞こえてきました。
そうです。カブをぶっ飛ばす女、ルースィアの登場です。

歩道を歩くデッカォンたち二人を正面から見たルースィアは、彼らとすれ違うと同時にカブの速度をゆるめました。
あとからデッカォン本人から聞いたのですが、このとき彼も視界にルースィアを認め、握っていた女の手をほぼ本能的に離したそうです。

しかし、ルースィア、そんなことはお構いなしにカブをUターンさせると、狙いをデッカォンに定めてエンジンをふかし出しました。
ブルン、ブルルン、ブルルルルルーン!!

そして発進!

ブルーンブーーーンブーーーーーーーーーーーーーン!キキキーーーーーーーー!!!!
ガーーーン!!!!
(解説すると、そこそこアクセルを加速させてデッカォンに突っ込んで、一応直前でブレーキはかけたんだけど楽勝で間に合わず、デッカォンの右太ももからケツにかけてぶつかった擬音語と擬態語。)

一応はとっさに身構えたデッカォンですが、それでもやはりもんどりうって倒れました。
一方のルースィアはカブを投げ倒すように降り捨て、あまりの驚きに固まってしまった連れの女に掴みかかります。
怒りか悲しみか、ルースィアが涙を流しながら拳をあげたところで、必死の生還を果たしたデッカォンが連れの女をかばおうとしましたが、その時うまい具合にルースィアの拳を顔面にもらってました。

てんやわんやの中、どうにかルースィアをなだめようとするデッカォンと、ますますヒートアップするルースィア。
たぶん別れの理由をデッカォンが嘘ついてたんでしょうね、
「何なのよ、この女!!誰なのよ!!!!」
とルースィアが激高すると、デッカォンは殴られた口元を押さえながら、ひ弱な声で一言、
「いとこだよ」
と、下手すりゃそこら辺の野良犬にさえも0秒で見抜かれる嘘をぬかしました。
ルースィア、超大泣き。

逢う魔が時の表通りで、西日にさらされた火事場の馬鹿力を見ながら
「国は違っても男ってやつは一緒だな」
とマヌケ面のデッカォンが微笑ましくなりました。

なかなかバブリーな事件ではあったけれども、次の日デッカォンは普通に練習に出てました。そのフィジカルの強さを知り、「今後50年、日本はブラジルに勝てないな」なんてワールドクラスというものを意識したのを覚えてます。

ちなみにこの数カ月後、デッカォンはサンダルを万引きしたのがばれてチームをクビに。
ワールドクラスというものについてちょっと考えました。

あいつら元気にしてるかな。

2009年11月10日火曜日

足がつりそう


まさかこの歳になって坂道ダッシュをやらされる羽目になるとは。

ロンドンに着いてから毎日、棲みかの近くにあるバカでかい公園で運動をしていました。
勝手に自分の中で「俺のもの」化している遊具広場で、よくシャドウボクシングをしていたんだけれども、先週、そこに行ってみると数人の黒人が勝手に「俺の」遊具広場でフィットネスをしていました。
中に入って話をしてみるとどうやらみんな、この二週間のぼくを見ていて、すでにボクサーとして認識(誤認)している様子。そしてどうやら彼らは、アマチュアのフットボーラーでそれぞれのチームに所属している、もしくは全く所属してはないけど、な選手たちが集まって、一人のコーチのもとでトレーニングしているらしい。さらに聞くと中にはコーチも含めて元プロフェッショナルもいるとか。

「俺もペルーの二部リーグにいたんだぜ。二か月で戦力外通告受けたけど」
とか
「日本では子供相手にコーチもしてたんだよ」
という話をその元プロ選手のコーチとした後、
「言葉はうまく話せないけど一緒にコーチをさせてくれないか」
と申し出たところ、あらあら、というかやはりというか、うまく意思疎通ができておらず、成り行きで昨日から若い黒人アスリートに交じってハードトレーニングをする羽目になっています。
楽しいけどね。

思い返してみれば、成り行きで転がった人生をいくつか、というよりたくさん経験してきたわけだけれども、その代表的なものの一つがボクシングでした。

のちに親友となる『極太(ごくぶと)』という呼び名の男と初めて酒を飲んだ時、彼が「自分を変えるため」だのの理由で、ボクシングをやりたいと言い出しました。
消極的な彼だったので
「明日中にジムを調べて明後日中に電話で詳細を調べてその次の日までに通い始めること」
という宿題を課したところ、「明後日中に電話」まではよかったんだけど、その電話の時に、一人じゃ心細いからというはっちゃけた理由で
「友達も連れて行きます」
などと勝手にぬかしたらしく、かくして北半球一気弱なボクサー志望者の付き添いのため、ぼくもそのボクシングジムに行くことになりました。

「俺は今日だけだからな。明日から一人でちゃんと通えよ」
とジムに向かう車中、『極太』に念を押していたのですが、いかにも流行ってません的な初期の丹下ボクシングジムを彷彿させるそのジムに着いてみると、出迎えたトレーナーの横にはそのトレーナーが写っているハングル文字のポスターが。よく見るとその対戦相手が元世界チャンピオンのボクサーで、その当時たまたま僕が読んでいたノンフィクション小説の中で、かなり重要な位置付けにいた登場人物ではありませんか。
嬉しくなってその話をすると、トレーナーも喜んでる様子で自然に話題はその時代のボクサーの話に。あーだこーだとかれこれ30分も長話をしてしまいました。

話も尽きたころ、そのトレーナーが笑顔のままぼくに
「で、『極太』くん、いつから始める?」
と尋ねてきました。どうやら積極的に話しかけてきたぼくの方を、電話をかけてきたボクサー志望者だと勘違いしたみたいです。
ぼくが『極太』じゃないという誤解は解けたものの、まあトレーナーの誘いを断ることもできず、あらあら、というかやはりというか、というわけでボクシングを始めることになりました。
楽しかったけどね。

ちなみにこの数週間後、『極太』はスパーリングをわずか1ラウンドこなしただけで挫折し、更にその数ヶ月後にはトレーナーがストーカーで捕まって新聞の地方版を賑わせるという事件が起き、一人しかトレーナーのいなかったオンボロジムは半閉鎖状態となりました。
めでたし。

そんなことを思い出しながら、バックステップの坂道ダッシュもラストの1本。
登りきったところの木々に4、5人の黒人たちが一斉にタッションをするんだけど、そのションベンの湯気が、ロンドン特有の鋭角で弱々しい日差しに揺らされるサマは、なかなかにロマンチック。

写真はその坂道。わかりずらいけどそこそこ急で長い。

2009年11月8日日曜日

休日の地下鉄


今日、午前のほどよい時間にTUBE(地下鉄)に乗っていたら、若干はみ出しながらも座席一列を二家族が占めている光景を見ました。片方は幼い3人姉妹とお父さん。もう片方は2人のやはり幼い姉妹とご両親。
あらあら、ちっちゃい女の子が5人もいて可愛らしいねえ、なんて思いながら、3人の年頃の娘を持つ在日韓国人の友人を思い出しました。

ぼくの父親とそう歳の変わらないナイスガイな彼に、彼の自宅で酒を交わしながら
「美人の娘さんたちに囲まれて羨ましいよ」
とおだてると、奥さんと娘さんたちが4人で徒党を組んで寄ってたかって彼を攻撃、批難してくる等の、一通りお決まりの愚痴をこぼした後、
「それと4人も女どもがいるから毎日誰かしら生理なんだぜ。まったくたまったもんじゃないぜ、あの匂いは。がははは!」
とその場にいた女性陣に気兼ねすることなく一人でバカ笑いしていました。
だから批難されるんだって。

ふと見ると、電車内では3人姉妹のほうがお父さんの膝の上を取り合っている様子。
お父さん、英国紳士らしく娘たちと接してあげてね。

写真は最近よく使うGoogle map。
今日はデートをすっぽかされました。

スクール


クラスメイトは毎日出席するコロンビアーナが二人とコロンビアーノが一人。
二日に一度の割合で出席する日本育ちの中国人が一人。
講師はベネズエラ人。
そしてほぼ毎日全員が遅刻してくる。もちろん講師も。イェーイ。

写真は(10分ほど開始時間を過ぎているが)授業前のコロンビアーナ二人。
常にリラックスムード。か、単にかったるいか。
ほか二人はまだ来ず。

フラット


ロンドンに来てはや二週間。
初めは聞き取り不可能だったコロンビアンイングリッシュにもいくらか馴れ、ルーズなラテン人に囲まれて楽しく過ごしています。

住まいは5DKのフラット。
ここで3人のコロンビアーノ(コロンビア人男性)と5人のコロンビアーナ(コロンビア人女性)と1人のアメリカ人女性と僕との計10人で暮らしています。

男には好かれるけど女受けはわりいんだろうな的なカマトトのアメリカンは別として(特に彼女が悪いコというわけではない)、みんなガサツで友好的で色気は皆無で、ここでの暮らしはなかなか心地よいものです。

一番のお気に入りはElica(スペル自信なし)。
このまえ博物館に一緒に行ったセニョリータ(お譲ちゃん)。
バツイチで、親権がスペイン人の元旦那にある7歳の息子がいて、本人は語学留学のために単身スペインから渡ってきた肝っ玉コロンビアン。今の彼氏もスペイン在住のスペイン人らしく二日に一度は電話で声を荒げながら大泣きしています。
とにかく人懐っこいので「童貞だったら勘違いして毎日悶々としているな」などと思いつつ、童貞ではない自分の運命に感謝しています。

お父さんお母さん、マシな男に生み育ててくれてありがとう。

写真は隣の部屋に3人で住んでいるコロンビアンのうちの一人。
とても穏やかで優しいコ。が、名前は知らない。

2009年11月7日土曜日

そこぢから



文章を書くのはよしとしても
写真を撮るのを極端に面倒くさがる性格なものだから
ブログだなんて習慣が成立するのかしら。
という、はなから挫折をほのめかした始まりです。

何せ10年前、ペルーに2カ月滞在した時の写真はゼロ。
その3年前に1年間滞在したブラジルでは
せめてもの記念に、というよりは証拠に、というガサツな気持ちで
最後の一週間だけまとめて使い捨てカメラ二つ分を撮りきるという力技。
その8割が寮で同僚たちと撮った味も深みもないスナップでした。

そんなことを思い出しながら
昨日はフラットメイトのコロンビアーナと
ブリティッシュ・ミュージアムというところへデート。

このセニョリータに観光に誘われて、希望を聞かれたはいいけど、
自分をロンドン中で最もロンドンに興味を持っていない人間だと
確信している僕は、観光地を一つも知らず、とりあえず出まかせに
ミュージアムと答えたらそこに連れて行かれました。

途中、彼女のクラスメイトのブラジレイロと合流して
3人で館内を見学すること2時間。
昔のお金やら彫刻やらを見てまわったんだけど
ものの10分で飽きちゃったねあれは。
見ると傍らのブラジルのセニョールもそんな感じ。
ただ一人セニョリータだけが真面目に説明書きまで読んでいて、
深くうなずいている様子でした。

一時間半ほどしたところで退屈もなかなかのものになり
「絵を見に来たのに絵が全然出てこないな」
なんて思いながら自分の語学力を反芻してみたところ
「そうだ。美術館はアートミュージアムっていうんだった。
てことは、ここは博物館だねきっと」
などと思い知る始末。
仕方ないから残りの時間は
ツタンカーメン?て言うんだっけ、あの台形のヘルメット被ってるやつ。
あれ的な彫刻やらトーテムポールみたいなポールやらを
いかに男性生殖器に見立てるか、という
年長か小一あたりの男子がやりそうな不謹慎極まりない、
一人ジャンケン的な孤独な遊びを
大英帝国でやってまいりました。
男っていくつになっても好きだよね。おチンチンとか。

写真は入館前のコロンビアのセニョリータと
館内写真取り放題の中で唯一撮った写真「おしゃれな生殖器」。