2009年12月31日木曜日

そんなこと言わずによいお年を


ブラジル人が全員サッカーがうまいというわけではないし、日本人が全員空手をやってるわけではないし、笑いのセンスのない関西人なんてのはいっぱいいます。

ただし「動物好きに悪い人はいないよな」という常套句というよりは迷信に近いその言い伝えを都合よろしく「これは本当」ということにして、動物園で撮った百数十枚の写真に目を細めたところで、極太んちの愛犬『りゅう』に吠えられたことをチクリと思い出します。

今まで出会った犬史上最高に人懐っこい『りゅう』はうちの愛犬チョコ以上に僕になついていたのに、何故だか渡英前に最後に会ったときは僕に向かって吠えて逃げ出しました。
あまり面識の無かった極太の母ちゃんの前でかしこまっている僕を見て「怪しい」と思ったのかなあ。

それを見た極太が
「すげえ!りゅうが人に吠えてるの初めて見た!史上初だよ史上初!うわ史上初!」
とアホみたいに「史上初」を繰り返して、その場にいた『チャンピオン』と一緒になってキャッキャキャッキャ喜んでいたのを覚えています。

そんなことを思い出していたら、ついでに極太の結婚式の映像がまだ送られてないことも思い出したので、とりあえず催促のメールを。
すぐに返事が返ってきました。

『帰ってきたらDVD見せるよ!
 極太家は元気だよ!極太家は・・・・・・

 鬼畜のキッチーはどーだい?』

そうかあ、チャンピオンちは秒読みかあ。

写真はりゅう。
後ろにチャンピオンと極太の一部も写っている。

2009年12月30日水曜日

習慣は受け継がれて


大した用事もないのに今日も午後の勉強をさぼってピカデリーサーカスに出向きました。
ダメな美術館にちょっかいを出した後、オックスフォードサーカス方面に向かってぶらぶら散策したのですが、イルミネーションは未だにクリスマスのまんまです。

それらのデコレーションを眺めながら、僕は子どもの頃のサンタクロースについての認識というものを思い出してました。

実は僕はサンタクロースを中一まで信じていた、世界クラスのイタい男の子だった実績を持つ人間です。
とは言えこれには自分なりの言い訳があって、三人兄弟の末っ子に生まれた僕はイベント大好きの両親からだけではなく、姉兄からも騙しの標的にされていたものですから、周りと同様にサンタの存在を疑い始めた小2あたりから(ちょっと遅い?)うまいタイミングでサンタにまつわる教育番組を見せられたり、実際に北欧だかどっかにあるサンタの集団に関する新聞記事を読まされたりしていて、うまく自分の頭の中でまとめることができませんでした。

小6の時に取っていた通信教育のテキストの挿絵で、あるキャラクターが
「そういえば小さい頃サンタを信じて家の屋根の上で何時間も待ってたっけ」
という「さすがに小6になればみんなわかってるからいいでしょう」的、確信的なサンタ全否定の発言をしてたのですが、それを読んだとき
「何言ってんのこいつ」
と心の中で思ったのを覚えてます。

中1の時は、授業中に何かのきっかけで先生が
「サンタクロースがいると思う人(挙手して)」
と言ったときに抜群のカマトトが一人だけ手を挙げて、思春期バリバリのクラスの男子たちから
「バカじゃねえの!いるわけねえじゃん!」
と非難轟々に野次を飛ばされてましたが、僕の心の中での野次はちょっと種類が違くて
「てめえ、カマトトぶって『絶対いるもん!』とか抜かしてんじゃねえよ!こっちはおまえと違ってマジでいると思ってるんだよ!絶対手は挙げないけどな!」
というものでした。

結局クラスに一人くらいはいる、物知り博士的な同級生がサンタクロースの存在について、サンタの民族だか協会だかの集団のことも含めて理路整然と説明してくれたので、僕はここでやっと「俺んちにサンタは来ていない」ということに確信を持てたものでした。

それでもその年のプレゼントは寝てる間に枕元。
翌朝、母親はしっかりシラを切ってるし。もういいって。

ちなみに初めて手渡しで渡されたプレゼントは中3の時の矢沢永吉のCD。さすがにサンタはE.YAZAWAのアルバムは届けてくれないみたいです。

そうそう、そういえばまだ横浜に住んでいたころ、姉が主犯で『緑のお姉さん』というサンタの女バージョンみたいなわけのわからないものまで一度だけあったなあ。
あれ何だったんだろう。時期も12月じゃなかったし。
力技で欲しいプレゼントをピーターラビットの絵本に設定されるという姉の趣味丸出しのあのイベント。

ああいうトバッチリを子どものころから何度も食らっていたおかげで、未だに家族の集まりはちょっとした恐怖です。
幸か不幸か、やりすぎると家族から離れていくという貴重な見本がここに出来上がりました。

ぐれるなよ、甥っ子たち。

女らしさとか色気とか


年明けすぐにイタリアに旅行に行くカリーナが二階の自分の部屋(僕の隣の部屋)で荷物を整理しているとき、ゴキブリを発見したらしくギャーギャー騒ぎ出しました。
台所で昼食の準備をしていた僕はそばにいたカタリーナ(カリーナとカタリーナってごっちゃになるな)に通訳をされ、僕を呼んでることがわかりしぶしぶ助けてやることに。

お前らみたいなチンチンはえてそうなガッツマンがゴキブリ一つでギャーギャー騒ぐなよ、と思いながらも意外な女らしさに対してちょっとは見直しました。
ただしこの後がまずい。

「このスーツケースの中に入っちゃったの。外に出して殺して!」
と泣きそうな声で言うから、スーツケースに入れたばかりのほんの数品を全て取り出して、ケースの中を探すことに。
しかしゴキブリがいないことを確認すると、今度は取りだした数品を指さして
「こっちも全部確かめて!」

その数品のほとんどが下着だったものだから一応
「いいの?」
と確かめると、躊躇している理由がまずわからない、といった感じで
「早くして!早く殺して!」
と半狂乱で命令されました。

一組としてセットになっているものが無いブラとパンツを一つひとつ一生懸命振り回しながら、二つ一組の文化はコロンビアには無いのかなあ、なんて考えました。

結局は無事にゴキブリ(じゃなくてただの黒い虫だったけど)を退治したのだけれども、これで抵抗が無くなったのか、味をしめたのか、用事で外出しなくちゃいけないカリーナが順番待ちになっている洗濯機を見て
「これ、今の人のが終わったら私の洗っといて」
とダイニングにいた僕に下着たっぷりの洗濯物を渡してきました。

付き合う前や付き合い始めのころは女性の下着というものは男にとって興味のあるものですが、一緒に暮らし出したりなんかして洗濯物に交じっているそれらを見ると何故だかげんなりしてきます。
このときのカリーナのも感情としてはバッチリ後者でした。

やっぱり日本人女性が世界一素晴らしい。
おいら生粋の日本人です。

来るもの去るものの時間と場所


最近のフラットの状況。

サミーが中国に行っている間に僕の部屋には元クラスメイトのダメな中国人が引っ越してきて、その困ったちゃんな言動でコロンビア人たちを動揺させています。

マダガスカル人のスーフィーちゃんは知らない間にフランスに帰国してました。フランスがホームタウンらしい。

この前エジプトに旅行に行ってた隣の部屋のコロンビアーノ、ファビアンはまたどこかに行っているらしく、ロンドンには戻ってくるがたぶんこのフラットには戻ってこないとのこと。

サミーは予告通り今月の中頃戻ってきてソファー暮らしをしていたけど、最近はピーフィーといい感じでたぶん同じベッドで寝ています。(えー!チン毛も生えそろってないガキだぜ!だから生えてないし生えてるって。しつこいか。)
同じ部屋でカタリーナも寝てるのに。

そのサミーは家庭の事情で明日、早朝のフライトで帰国するため、早ければ今日の夜にはお別れ。
その明日にはカタリーナとピーフィーも新しいフラットに移るため、ここを出ていきます。

このフラットは来るもの去るものの多い場所ですが、僕は19歳からの一年間、ブラジルのプロサッカーチームの寮という、それこそ出入りの激しい場所で暮らしていました。
戦力外通告を受けて故郷に帰る者や出場機会を求めて他のチームに移る者、別の職業を目指して引退する者など様々です。

仲の良かったチームメイトたちをさんざん見送りながら一年が過ぎると、今度は僕が去る者の側になりました。
地球の裏側へ離れてしまうというその物理的な距離を思い、
「一生再会のしない別れはお互いにとって相手は『死んでしまった』ことと同じじゃないか」
と青二才丸出しではあるが、若者らしく力強く悲嘆したことを覚えています。

約3年の月日が流れ、今度はペルーでの出会いと別れを経験するわけですが、帰国後数年が経ってから僕は僕を戦力外通告した監督に日本で偶然再会しました。

当時無職だった僕が夕方に面接を控えていた初夏の日のことです。
その年のU-17の世界大会で3位に入ったペルーの代表チームが来日していて、千葉県内のチームと調整試合を何試合かするというので、僕は当時ボランティアで教えていたサッカーチームの子どもたちと一緒に観戦しに行きました。

試合を観てると、数日前の一戦目でたかだか千葉県内だけのU-17に敗北を喫していたことが影響しているのか、前半からペルーチームの監督の檄が。
その声に聞き覚えが、そしてそのボディーランゲージに見覚えがあったので、ピッチサイドにいる知り合いの通訳に、スタンドから結構大きな声をかけました。

「ねえ!あの監督ってもしかしてカルロスでしょ!」
「ううん。オスカル」
ペルー前後の実経験を元にして書いた小説の中で、アキラさん以外の全ての登場人物に偽名を充てていたものだから間違えちゃった。

大声での間違いに照れながら
「そうそう。オスカル、オスカル」
と何が「そうそう」なんだかわからないことを呟いて大人しく最後まで観戦してると、試合終了後、その通訳がピッチサイドから僕を呼び
「せっかくだからみんなで記念写真撮るっていうから子どもたち連れて降りてきて」
との申し出が。

写真撮影の後でオスカルと久しぶりの再会に握手を交わし、つたないスペイン語で近況を報告しました。
「俺、今、ボランティアで彼らにサッカーを教えてる。今、コーチしてる」
「うん」
「何年か経ったら、俺たぶん日本代表の監督する。そしてあなたのチームと戦う」
このままコーチを続けていつか日本代表の監督になってきみのチームと戦えたらいいね、と言いたかったんだけど、そんな簡単なスペイン語さえも言えない僕に対して、オスカルはきちんと把握したらしく、日本在住経験のある彼は日本語で
「勉強、勉強!(もっと努力しなさい)」
と返してきました。

初夏の西陽に目を細めながら、指導者を一生の生きがいに、そして仕事にしようと思った日の出来事です。
その後、予約を入れてたキャバクラのボーイの面接に行きました。


そのボーイから変な方向に話が転がり、バーの雇われ店長をすることになるのですが、その街が総人口に対してのヤクザ人口の割合がまあまあ高めのところだったのでその頃、変にヤクザに慣れました。

ところで僕以上の寒がりには未だに出会ったことが無いくらいに寒がりな僕が、驚いたことにロンドンの寒さに、ちょっとではあるけど慣れてきました。

慣れというものは面白いもので大体がこんなだと思うのですが、ブラジルでのさよなら以降、未だに別れというものにだけは慣れません。


ブラジルを離れる最後の日、寮の前で迎えの車を待っている僕に、朝の練習に向かうチームメイトやチームスタッフたちが次々に別れの言葉をかけ、そして別れの握手を求めてきました。

その中の一人、一つ下のカテゴリーのジュベニール(16、17歳の部)の監督が握手をしたまま僕に尋ねてきました。
「またブラジルには戻ってくるのか」

その頃、二度とサッカーをしたくないと思っていた僕は、そして前述の通り別れに悲観たっぷりだった僕は
「たぶんノーだ」
と答えました。
すると監督は握手のグリップを強めて
「たぶんイエスだ」
と言ってニッコリ笑いました。

今思えばただの挨拶的な常套句なのでしょうけど、このときのやり取りと、ペルーの監督との再会という実際が、後の僕をだいぶ身軽にしています。

2009年12月29日火曜日

キャロルと男爵とオレ物語


サイズが無くて買えなかったロングスパッツを求めて、昨日は人だかりの中オックスフォードサーカスへ。
試着できないことに辟易しながらも結果的にはピッタリのサイズだったお目当てを購入して帰路へ。

表通りには観光客もいるようで、未だ装飾されたまんまのクリスマスイルミネーションをパチリパチリと写真に納めているカップルも何人かいました。

その中のおそらくメインであるゲートに『Christmas Carol』の文字が書かれているのを見たとき
「あれ、Carolって人の名前じゃないんだ。どういう意味なんだろう」
と今更ながら考えてしまいました。
昔から日本でも耳にしていた言葉だったのに、永ちゃんのバンド『キャロル』も含めてCarolを人の名前として認識がすり替えられたのは、10年以上も前にペルーで同じつづりの女性に出会ってからです。

以前、ペルーで所属チームから戦力外通告を受けた日の夜に日系人のチームメイトに誘われてプッタ(売女)を買いに行ったことを書きましたが、その時に売春宿で出会ったプッタがまさしくその女性です。



その日の夕方、僕が住んでいたベースボールスタジアムに、約束していたチームメイトが迎えに来ました。
そしてそのチームメイトの隣には知らない男が立っていました。
日系の血が混ざっているにしてもいないにしても顔の濃すぎる彼は大学で英語を勉強しているらしく、どっちにしろ大して喋れないのに僕のスペイン語の会話能力を気遣って英語で話しかけてきました。どっさり鼻毛を肥やしながら。

売春宿へ向かうタクシーの中、こっちは所属チームどころか棲み家も失くすことに頭を悩ませているのに、終始フルテンションの大学生は料金システムのことやらお勧めのプッタの話やらを嬉しそうに僕に説明してきます。
「俺がいつも買ってるコはモニカっていうんだけどねえ、もうすごくいいコでとにかくすごくbeautiful、いや…beatifulじゃないなあ……なんて言うんだっけこういうの」
知らねえよ。

しかしチームメイトは優しく返答。
「prettyかい?」
「いや…うーんprettyとも違うなあ」
知らねえよ。
「じゃあcuteだ」
「そう!それだ!cuteだcute!!彼女はすごくcuteなんだよ。ダッハッハッハッハ!!」
何が面白いのかわからないけどイメージ通りの下卑たバカ笑いで車内の温度を上げていました。

売春宿に着くと受付で元締めみたいな男に10ソル(当時のレートで300円ちょい)を払い、1階2階合わせて100以上も部屋があるコの字型の建物の中へ。
ドアが閉まっている部屋は今まさにコトの最中。ドアが空いている部屋の入口にはプッタが立っていて、それを客が見て値段を聞いて(または交渉して)、するかどうか決めるシステム。

ちなみにどうしようもないババアなんかが15ソルくらい、閉まってるドアの前で順番待ちの行列を作られるような人気のあるコは30ソルくらいと高め。それでも日本に比べたら格安だけど。
それと料金は時間単位ではなく一回の射精でいくら、なのでここでは早漏は早くに退出するし遅漏は長引くし、という図式になります。

言葉のつたない僕のことを二人とも心配してくれて
「先にキッチーの相手が決まってから俺たちはそれぞれ目当てのコの部屋に行くよ」
と言うから、順番待ちしなくていいことと名前の響きだけで例のCarolに決めて、彼ら二人を後にしてドアを閉めました。ちなみに読みは『カロル』。

中に入るとシャワー無し、前戯無し、コンドーム有り、の超簡潔合理化サイクル。プッタを物と考えればある意味徹底リサイクル。怒られるか。

「勃ったら早く入れて早く出してちょうだいな」
と言わんばかりの情緒もヘチマも無い流れ作業みたいなセックスを流れ作業台みたいなベッドでCarolと始めると、そんなムードゼロの状況にも関わらずいつもより何倍増しかのスピードで果てました。

気まずさにいそいそと服を着ながら、外に出たら近くの部屋で連れたちが順番待ちしていることを想像して、「目撃されたときの短い滞在時間の言い訳に『今日は疲れてたんだよ』というのは全世界共通かな」などと考えていました。

そして実際ドアを開けてみると近くの部屋どころかドアの真ん前にニコニコ顔の大学生が。心配で僕を待ってたみたいです。
出落ちのような鼻毛メインの笑顔に、早漏と思われてしまっただろうことに対しての気恥ずかしさと「余計なお世話」な憤りも多少沸かせながらも一応
「ありがとう。ところでおまえは早くモニカの部屋に行かなくていいの?」
と聞くと
「もう行ってきたよ!終わってからまたこっち来てキッチーのこと待ってたんだよ!ダッハアッ!」
とパンチ力のある笑い声を炸裂させてました。何が面白い。

その人柄ではなくスピードに素直に脱帽して僕は心の中で彼のことを『マッハ男爵』と呼ぶことにしました。
心の中で、というのは実際に言葉にして呼んだら悪いかな、と気を遣ったわけではなく、スペイン語訳が出来なかったらからです。

その後二人で超遅漏のチームメイトを一時間半ほど待って、何故だか敗北感に満ちた僕らは無言で帰宅。
心の中ではさんざんマッハ男爵に話しかけていました。

「ヘイ。マッハ男爵。何故きみは鼻毛を切らないんだい?」
「ヘイ。マッハ男爵。何故きみはおかしくもないところで馬鹿笑いをするんだい?」
「ヘイ。マッハ男爵。何故きみはきっつきつなワイシャツの第一ボタンをとめたままにしてるんだい?」
「ヘイ。マッハ男爵。何故きみはマッハ男爵と呼ばれてるんだい?」
それは超早漏だから。

翌日以降、スポーツパーク内で男爵を見かけることはあっても一切声はかけませんでした。
ちなみに彼の本名は『ディエゴ』。
かのアルゼンチンの英雄にして暴君、マラドーナと同じファーストネーム。
イメージありすぎ。

こんなことしてるから彼女と音信不通になるんだな。

「必死」という積極に「死」が入る日本語の壮麗


昨日パソコンの壁紙を実家の犬の写真に張り替えたら、それを見た愛犬家のピーフィーが大はしゃぎ。
名前を聞かれたので『チョコ』という月並みな名前とその由来である『キャンディー』という彼女の母犬のこれまた月並みな名前を教えてあげました。

そういえばちょうど今日近辺がキャンディーの命日。

キャンディーはチョコの出産の時に犬にしては珍しく一匹しか産まなかったものだから、チョコが産まれてから十数年の間は、ずっと二人っきり(二匹っきり)でまあまあ仲よく過ごしてました。
キャンディーに比べるとひたすら頭の悪いチョコは家族のことが大好きな愛すべきバカ犬で、人間だけでなく常にうっとうしそうに相手をしていた母犬のキャンディーにもしつこく絡んでいたのを覚えています。

そして5年前、初めての転勤から4カ月ぶりに実家に帰るというその日の午前、まだ転勤先の名古屋でその年最後の仕事をしている時に、キャンディーの死を知らせる悲報メールが母から。

元々「もうすぐ寿命」という前フリはさんざんされていたので覚悟はしていたけどメールを読んで素直に悲しみ、しかし同時に
「にしてもあと数時間待てないものかねえ」
などとテレビのようには上手くいかない不条理を思ったものです。

部下の尻拭いと東名高速の一部通行止めのせいで予定よりかなり遅れて深夜に実家に着いた時には、キャンディーはすでに綺麗に整えられてました。
見渡すとチョコは部屋の片隅で独りぼっち。

その光景が意味することが、愛する母親が死んでしまって云々のお涙頂だいではなく、「腐っても動物」の本能に忠実な行動であることを
「死ぬ間際までチョコはキャンディーの体をずっと舐めてあげてました。なのに人間の誰よりも早くキャンディーが死んだことを認識すると、スッと離れて今は全く近づきません」
という内容の午前のメールにより知っていたので、とりあえず僕はチョコを抱き上げて無理やりキャンディーにくっつけてやりました。

我が腕の中で必死にもがきながら抵抗するチョコを感じながら「そういえばブラジルにいたころJean(仲の良かったブラジル人)に抱きかかえられて死んでる犬を踏まされるなんて悪戯をされたことがあったっけなあ」などと思い返してました。不謹慎だね。
とりあえずチョコにはお詫びのキスをしてあげたけどね。基本、それも毎回嫌がってるけど。

徹夜明けの疲れているときには体臭が臭くなり、胃が疲れているときは口臭が臭くなり、加齢をすれば普段から臭くなり、老いては臭くなり汚くなり、死んだら死んだでほっとけば腐りだし、嗅いだ事は無いけどそれはひどい匂いだと言う。
もしもそれらが全てその反対でいい匂いになり綺麗になるんだったらみんな弱者に対して優しくなるのに。
と思ったけどダメか。死体を焼きづらくなっちゃう。

老いはともかく死に対しては嫌う方が動物としてだけではなく人間としても真っ当なんだろうな。
死に対して恐れなどの嫌悪感があってこそ死者や年配者に対しての畏敬が生まれ、生(せい)に緊張や疾走感、向上心などの充実を持たせるんだろう。たぶん。

結びつかないかもしれないが、あるいは結びつかなくてもいいのだが、生きてる人間は自分自身に対して
「完璧な人間なんていない」
って頻繁に言い切らない方がいいよね。
どうせ一度は勝手に死ぬんだから、そして一度しか死なないんだから、生きてる僕らはただ必死に望んだり感じたりするだけがいいよ。

あ、ところでこのパソコン、キャンディーの写真一枚も無いや。
というわけで写真はチョコの。
母犬より長生きしている彼女はもう18歳。
今度は死に目に会いたいけど、いつ死んでもおかしくないって言うし、どうかなあ。

2009年12月27日日曜日

撮りも撮ったり163枚

しかし高っけえ!ロンドンの動物園の入園料。
入園前に料金を知ったけど、「今まで散々タダで美術館巡りをしたしなあ」という不適当な自責もあり、入園ゲートのトラの赤ちゃんの写真が可愛かったこともあって迷わずに入園。
初めてカメラを触った子どものようにバッツンバッツン撮ってきました。擬態語おかしいか。





転勤や引っ越しの多かった日本での生活で、その土地土地の観光名所などに驚くほど行かなかったことをちょいちょい悔んだりする中、動物園だけは比較的訪れた方でした。
お気に入りは猿。猿山の方じゃなくて檻の中の方の。
3、4匹ずつ入れられたその檻の中で繰り広げられるじゃれ合いやらいがみ合い等の人間模様ならぬ猿模様を、勝手に家族の風景に置き換えてアテレコをしてました。

「ちょっとお父さん!私のケータイ勝手に見たでしょ!」
「親が娘の携帯電話見て何が悪いんだ」
「信じらんない。ちょっとお母さん!お母さんからも言ってよ!」
「こらこら、お母さんは関係ないだろ」
てな感じで。

今日は一人だから声に出して言えないな、なんて心配してたら「檻の中の猿」はありませんでした。残念。


とりあえず『ニモ』の呼び名は全世界共通で『ニモ』であることが判明。
帰ってからフラットメイトにも見せたけどやっぱり『ニモ』。












このあと欲しかったものを買いにピカデリーサーカスへ。サイズが無い、そもそも無い、ということでサッカー用のタイツと普段用の耳当てはあきらめて、長いこと迷っていたプーマのスニーカーを買って帰りました。


夕食はイヴに髪切った時に美容師のあんちゃんから勧められた自宅近くのトルコレストランへ。
この前食った中華とは違ってお勧めどおり安くて上手かったけど、やはりこれも言ってたとおりに量がべらぼうに多く、貧乏性よりも先ず「出されたものは残さずに食べないとな」という育ちの良さのせいで、結局残す羽目になるくせにギリギリまでトライして、最終的には吐気を催しながら帰りました。

ひたすら疲れた一日でした。

2009年12月26日土曜日

無益な一日


珍しくネットサーフしていたら結婚サイトへ辿り着きました。
興味本位で女性会員の紹介ページを覗いてみるとなかなか新鮮な発見が。

エロサイトと違ってそんなに可愛くないコが多いところや平均年齢が高いところがリアル。

その高めの年齢にも関わらずほとんどの女性が同い年か年上の男性を希望してるところもリアル。(そう言えば20代のころ年上の30代の女のコに粉かけているとき「年下には興味無い」と無下にフラれたのは青二才には衝撃だったなあ)

相手の男性に望むそれ以外の条件がやたら高望みなのもリアル。けっ。

趣味や性格は別にかまわないとして身長、体型から年収や学歴、果ては血液型まで。
その全てにハジかれた時には「おまえなんかハゲデブチビ眼鏡短小包茎早漏の7拍子揃ったホームレスに貰われちまいなよ」と毒づきたくなります。

とりあえず今の僕の状況で収入0はともかくとして最終学歴高校はダメですかダメなんですね。
そんな中、7割方の「大卒希望」と3割の心優しき「学歴不問」に交じって一人だけ「高卒以上希望」のピンポイントが。
15の夏の日、高校中退を試みて近くの職安に足を運んでみたけど踏ん切りがつかず中退を断念。
よかった高校卒業しといて。

ところで今日はボクシングデーといい(由来は知らない)今日からしばらくの間各店で大安売りが始まるそうで、フラットのみんなは張りきってお出かけ。
こんな日に何やってるんだおれは。

そうそう欲しいものがいくつかあったんだ。
明日は出かけてみよう。

あんとき


二つ目の「場違いパーティー」は『男前』の送別会です。

ジャーナリストである『男前』と出会ったのは、僕が以前勤めていた会社が悪い意味でメディアを賑わせていた時のころです。
元従業員への取材という形で僕らは出会ったのですが、その会社に幹部として復帰するという予定がこのメディア沙汰によってチャラになっていたのと、何よりその事件の渦中も渦中、ど真ん中にアキラさんがいたので、僕は新聞記者というものに薄っぺらい敵意を抱いていました。

その地域最強で無敗のアマチュアサッカーチームだった僕らが初めて公式戦に負けた、小雨の降る初冬の日のことでした。
当時、サッカーに関する勝ち負けへのこだわりは見事に大人げなく、更には極度の寒がりも手伝って、相当機嫌が悪かったことを覚えています。
試合後、知人を通しての紹介にも関わらず、僕は『男前』の取材に対して
「昔のことだからよく覚えてない」
の一点張りでした。

自分の車の前で、敵意むき出しに車内には入れず、お互い小雨に震えながら弾まない取材を受けていたのを覚えています。

今思えば取材のイロハなんでしょうが、埒が明かないので話題はサッカーの話に変わりました。
そしてその当時、僕の元チームメイトの日本人がペルーでプロデビューを果たして、それが地元の新聞に取り上げらていたのですが、それを取材して配信してくれていたのが『男前』であるということが分かりました。

態度はコロッと変わり
「まあ車の中に入れよバディー」
とでも言いそうな勢いで車に二人で乗り込み、駐車場に停めたままの車中で本題の会社以外のことを色々と話しました。

それがきっかけで、間近に出版を控えた小説の広告記事を全国に配信してもらったり、プライベートでも彼が当直の日曜に彼の職場の成田空港支局で、デッキからよりも優れたロケーションでの飛行機の離陸を眺めながら大酒をかっ食らうなんてことをしたり、僕にとって彼は大好きな友人になりました。

そしてしばらくしてから成田空港ではちょっとした事件が起きます。
CIAが何年も追い続けてるある国の要人が成田で入国拒否にあい、日本中を騒がせるという事件です。
その時、その人物のパスポート写真をあるルートから入手し全世界に配信したのが『男前』でした。
その結果、当時全世界2000人の従業員の中から3年振りにその通信会社の「社長賞」なるものを彼は獲得し、会社から出世を約束された形になりました。

後日電話で興奮していた彼が印象的です。
「というわけで僕、たぶんもうちょっといい場所に栄転することになると思うんで、キッチーさんも2作目が出来上がったら早めに教えてください。取材しますんで」
なんて普段は超低姿勢の彼が珍しく自慢げに語っていて、僕までもが嬉しくなったのを覚えています。

と思っていたら喜びも束の間、数週間後に彼は飲酒で事故って地方に飛ばされることが決定。
さすが俺の知り合い。底力が違うな。なんて感想は言わずに黙って彼からの電話の報告を聞いていると
「というわけでささやかながら僕の送別会を空港内の和食屋でやってもらうことになったので、キッチーさんも良かったら来てください。」

プライベートの友達がキッチーさんくらいしかいないんで、という口説き文句と、服装は普段着で全然構わないんで、という付け足しによりその送別会にラフさのような安心感を感じたので、とりあえずは伺ってみることにしました。

当日、半袖短パンにビーサンという出立ちで指定された場所に行ってみると、店内には自社他社問わず大勢の同業者がバッチリスーツ姿で集まっていました。
コンビニにヤンマガを買いに来たような格好の人間は当然僕一人で、挙句には
「こちら僕のプライベートの友人、作家の〇〇さん(作家名)」
とハッタリまがいの紹介を『男前』にされるある意味事故。飲酒事故。
悪気が無いだけに余計に始末が悪い。

とりあえず「作家とかいう大層なものでは全然なくてですね」と年上のちゃんとした感じのお兄さん方お姉さん方に説明というか言い訳をしながら、早めのペースでジョッキを空けていきました。

とか何とか言いながら結局楽しくて街中に移動した二次会のカラオケまでバッチリついて行ったけどね。
何故かジャーナリストたちは洋楽ばっか。
こっちも元バンドのボーカルというプライドがあり(文化祭と軽音部の定期公演会で2回演っただけ。しかも一回はパンク。どんなプライド。)負けずに出来るだけ綺麗な発音でハモってあげました。
みんなで歌ったビートルズやスタンドバイミーは楽しかったなあ。


追記
ちなみにその時の移動は余裕の飲酒運転。
もうぼくおとななのでそういうことはしませんごめんなさい。

2009年12月25日金曜日

パーティーで由ないことを。


Erikaの魅力はやはり格別で結構お気に入りのCatalinaとは一線を画すものがあり、元クラスメイトのRocioに通じるものがあります。旦那とののろけ話をしょっちゅうしてくる、人間性の素晴らしい、あの。

Erikaは踊りだけでなく歌もメチャクチャ上手いことを知りました。ただし何故か全部、男性シンガーの歌を男性シンガー風にだけど。



腰回りのぜい肉がそこそこのボリュームなのにも関わらず平気でピタ目の服を着るものだから、Mariaにはくびれが二つあります。

ちなみにPaolaには腰のくびれ自体がそもそも無く、段々になった淀みみたいなものだけがそこには存在しています。



パッと見、小学生のピーフィーが
「今、二人の男のことで問題を抱えているの」
と満更でもない感じで告白してきましたが
「チン毛も生えてねえガキがませたことぬかしてんじゃねえよ」
と何故だかイラッとしてしまいます。
(そもそもチン毛は生えてないし、しかし毛は生えているだろうが。だって19歳だもの。)

パーティー終盤にかなり酔っ払った客人のAndressiとMariaが脂っこいキスをかましてましたが、「オエッ」ってなりながら周りを見てみると、みんなも閉口している感じでした。



Catalinaは自身の首の付け根、背中側にスカルのタトゥー(目の部分は薔薇模様)を入れているのですが…いやこの表現はちょっとお洒落すぎるか…背中に薔薇目ガイコツの刺青(スミ)が入っているのですが
「何か意味があるのか」
と聞くと
「自分の住んでた街を忘れないように、イギリスに来るちょっと前にコロンビアで入れてきたの」
というイタイ答えが返ってきました。

てことは何かい?おまえんとこの「県の花」的な街を象徴する花は薔薇で、「県の鳥」的な街を象徴する動物はドクロってかい?ドクロ、動物じゃないし。
なんて思いながらちょっとずつ本領を発揮してきたこのコのアバズレ感に、それはそれで惚れ増しをしました。

コロンビア人は意外とみんな酒に弱く、翌日大半が二日酔いを喰らってました。


何だかんだ言ってここの住人たちとここでの暮らしは結構気に入ってます。

飲んだり踊ったり


「この手の予感」は見事に外れ、昨日からErikaがうちに来ています。

予約を入れてたロンドン初の散髪からフラットに戻ると、クリスマスパーティーということでが女のコたちががむしゃらにお洒落をしていました。
もともと多少の色気はあるカタリーナ姉妹といつもマイペースのモレーナ(茶褐色の人種)のカリーナはいいとして、四六時中髪をひっつめた肝っ玉母ちゃん風凸凹コンビ、パオラとマリーナまでせっせと前髪を作ったり紅をひいたりしていて、ちょっと「プププ」ってなりました。
パオラに関しては太い腕っぷしは丸出しだしホリは深いし声は低いしで、パッと見「張りきったオカマ」です。

招待されたナイスガイコロンビアンも二人ほど混じって緩いペースでパーティーが始まると、しばらくしてからErikaがやってきました。

相変わらず他とは段違いの魅力あふれる笑顔と振る舞いそのまんまに勢いよくダイニングに入ってくると、駈けつけの一杯より先に職場の上司の愚痴をさんざんこぼして、喧嘩して辞めてきたことをみんなに報告してました。
職場の近くへという理由で引っ越したのに。

3時半まで続いた宴から一夜明け、クリスマスデイのせいで今日は全ての交通網がストップしているため、二人のコロンビアーノとErikaも含めて誰も外出しなかったのですが、僕はいつもの日課で公園にロードワークに行きました。
僕と同じくサッカーの無い日でも坂道ダッシュなどのフィジカルトレーニングを自主的にやっているチームメイトにたまに出くわすんだけど、今日も坂道のふもとに着くと逆光まぶしい中、黙々と走っている黒いシルエットが。

久しぶりの好天気のせいかクリスマスのせいか人出の多かった公園で、僕ははめていた手袋を取り笑顔で
「グッモーニン、メリークリスマス」
とその黒人と握手を交わしました。
知らない人でした。

お互い気づいた後も堂々と知り合いどうし風に2、3言葉を交わして別れましたが、この手の間違いは実はちょいちょいあることで、「堂々が一番」などと一人で納得しています。

そんなことを思いながら坂道をてっぺんまで登ると、白人の女の子ランナーが下からこちら側に向かって我武者羅ダッシュ。
白髪に脱色したヤマンバヘア(死語)に鼻ピアスの青目の女の子でしたが、どんだけの便秘を踏ん張ったらそんな顔になるんだよ、というような阿修羅の形相で、しかもゲルググのようないかり肩で上に向かって突進してくるものだから、目が合った時には瞬時に逸らしました。
ヤクザと目が合った時よりも早く。

「堂々」も使い方それぞれ、なんて思いながらしばらくして帰路に着きましたが、こんな感じでクリスマスだからといって特にいつもと変わりは無し。
こういった日常が我ながら好きです。

2009年12月24日木曜日

本題なんてもともと。


数ある「場違いなパーティーに出席」でよく思い出すことが二つほどあります。
一つ目は10代のころブラジルで。

今と同じような時期、クリスマスシーズンに僕以外の選手全員が帰郷するため寮を閉めるとのことで、僕はブローカーの手筈で100キロほど離れた都会のとある街で3週間ほど下宿することになりました。
移動初日が、当時日本との遠距離恋愛をしていた恋人の誕生日ということで、12時間の時差にギリギリ間に合うように、国際電話でバースデーコールをしました。当時はメールとか無かったからね。

約半年ぶりに聞いた彼女の声にある種のノスタルジックも手伝って惚れ直しはしたが、金銭的な都合で通話時間はたったの90秒。
とはいえ男の純情と一途さに自己陶酔する意味も含めて
「もっともっとサッカー頑張ろう」
なんて彼女への恋心を励みに変えながら下宿先に戻りました。

そしてその下宿先で、同じくその日に田舎から上京してきたジゼーリという女の子に出会いました。
元来がダメ人間な僕は(あるいは平均的な10代の男の子であった僕は)、ほんの数時間前に自分の彼女に惚れ直したばっかりだというのに、ジゼーリに一目惚れをしました。

ジゼーリは平均的なブラジル人の例に洩れず、社交的で遠慮を知らないものですから、職探しから近場への散歩まで、ちょいちょい僕を誘ってくれます。
その誘いの一つにジゼーリの職場のパーティーがありました。

言葉がまともに喋れないことと、「おまえだけうちの職場の人間じゃないじゃん」以外は特筆するようなものは無く、ごく普通に場違い感と疎外感を感じただけだったのですが、翌日そのことについて書いた、10代特有の勢いに任せただけのギャグと下ネタをふんだんに盛り込んだ文面の手紙を、高校時代からの付き合いの『前科』に送りました。

ところで当時僕は渡航前に(前出の恋人じゃない方に)二股がばれて、飛びっきしの残尿感のような後ろめたさを感じながら日本を後にしたのですが、そのばれた方の女のコと共通の友人である『前科』は、事あるごとに僕の手紙の内容を彼女に聞かれていたみたいで、しかし女の話と下ネタがメインの手紙の内容はなかなかに教えづらく
「うーん。キッチーの字、汚くて読みづらいんだよね」
と、趣旨が今一わからない嘘を常についていたみたいです。

ちなみに数カ月後、日本に帰国してから『前科』宅を訪問した際に、大量のエロ本と大人のオモチャなどが入った段ボール箱、通称「親に見られちゃいけないものボックス(別名・宝箱)」の中身をあさった時に、僕が送った数通の便せん全てをそこで発見しました

そんなことを思い出していると『前科』から律儀にクリスマスメールが。

「メリークリトリス
おかげさまで仕事も順調にいきそうだよ。
サーフィンいこ。また」

全文、まんまで載っけてみたけど、おそらく中学時代あたりからさんざん使い古した下ネタを、三十路をとうに過ぎた今でも初っぱなに持ってくるあたりはさすが。
もはや通常の挨拶文。
『前科』以外にもこういう友達が何人か僕の周りにはいるんだけど、これって日本の三十代男性にとって普通のことなのかな。たぶん違う。

「やられたらやり返す」の精神で、下ネタ10倍返しのメールをあの頃に負けない気持ちで返信したけど、「親に見られちゃいけないものボックス」に隠さないでよくなった科学の進歩にとりあえず感謝だな。
嫁に見られないようにしろよ。

おかしいな。最初は一途なイイ男風に話が始まったのに気付いたらダメ人間丸出し。
いつも本題からそれて、こんなふうに自分自身をおとしいれちゃうけど、気取ったところで元が元だからしょうがないか。

バカは


いつか読んだ雑誌かなんかで、野球好きのある芸人が
「ドラフト会議の時期が来るたびに、ひょっとして指名されるなんてことがあるのではないか、と何パーセントかは真面目に考えて、少しドキドキしている」
といった内容のことを言ってましたが、「何パーセントかは」と前置きをして本人が言っている通り、これはボケではなく、いくぶん真面目な話のような気がします。

インフルエンザでいいようにくたばってたくせに、わずか5日間のリハビリトレーニングで体調がまあまあ回復して、更には朝のサッカーのコーチに褒められたりなんかすると
「イギリスの7部リーグとか、セミプロぐらいだったら今からでも通用するんじゃないか」
と、何パーセントどころか4割強ぐらいで考えちゃったりします。

ピーク時に比べて確実に落ちている筋力と筋量を自身に自覚させられたところで、
「でも今はコアトレーニングとか体幹とかの方が注目されてるしな」
とわけのわからない言い訳を自分自身に言い聞かせて、思いはもはや5割に届こうかという勢いです。

たぶんこれ、死ぬまで治らないんだろうな。

5分の5


今日みんなでダイニングでワインをやりながら思ったんだけど、うちのコたちは全員腹が出ています。
コロンビア人の年頃の女の子が5人集まって5人とも腹まわりに貫録がついていたら、これはもうそういう民族なんだと認識した方がいいのかな。
それともたまたまこのコたちだけかな。
そう言えばスタイルの良かったErikaでさえ腹まわりだけは脂肪がついていたな。レースクイーンのくせに。

なんてことを回想していたらどんな流れか知らないけどバスで15分ほどの距離のところに踊りに行くことに。
寒波の中、5人のコロンビアーナに連行される体(てい)で、看板にチェ・ゲバラの絵が描かれたバーに着くと、それを狙いできたのに今日はダンスパーティーは無しとのこと。

しょうがないからただの『バス往復30分』を味わいながらスゴスゴみんなで帰ってきたら、降りたバス停でマリアが酔っ払いにクリスマスプレゼントをもらってました。

さんざん引っぱり回された感のある夜でしたが、ダイニングからバーを経て再びダイニングまで、当然のことのようにオールスペイン語です。
途中、ピーフィーが気を遣って下手くそな英語で訳してくれたけど
「今、何人の男とヤッたことがあるかみんなで話しているところ」
という告げ口にも近い通訳を屈託のない笑顔で言われた時には、ついつられて
「ちなみにみんな何人って言ってる?」
と野暮をしてしまいました。
教えてくれなかったけど。

貧乏性が災いしているのか、断れない性格が原因なのか、こんな場違い感のあるパーティーやら集まりには昔から頻繁に参加しているイメージが自分自身にあるけど、明日は夕方からこのメンツでクリスマスパーティーです。
おっかねえ。
早めに酔っ払おうっと。

2009年12月18日金曜日

ほらみろ


中学時代に「たぶん」と前置きされて告知された時といい、名古屋時代、2度の誤診の後に半ば強引に検査してもらってわかった時といい、インフルエンザにはいつも何だかふわっとごまかされ気味です。

今回もさんざん血液がどうとかアレルギーがどうとか垂れられた後に、そこを何とか一応検査だけでも、と嫌々気味の医者のケツを叩いて無理やり検査を受けたら
「ほらね。インフルエンザじゃないでしょ」
だって。

「おかしいな、この流れならまずインフルエンザなんだけどな」
とか思いながら帰路に就くと、40分後に携帯電話に医者からのコールが。
その手の予感を感じながら出てみると
「ごめん。やっぱインフルエンザ」
だってやんの。

でも時期からしてインフルエンザの対処ではなく、さっき渡した薬でさっき言った通りの対処でいいよ、と言われてもこちらの心情としては
「いいからタミフルくれよ」
が正直なところ。

そんな不満を思いながら歩いた火曜日、ちくしょう外は初雪。
いよいよしみったれてきます。



医者の許可が降りて、昨日今日と久しぶりに登校してまいりましたよ鼻をズルズルさせながら。

クリスマスまでまだ日があるというのに、今日の授業はクリスマスアニメのDVDを観たり、つまらないゲームをしたり、学校全体が浮かれ気分で、更にはいつもより一時間も早く授業が終わりました。

金曜恒例のパブ会は体調不良を理由に断ろうかと思ったら、今日の授業を最後に帰国する中国人のクラスメイトがいるとのことで、いつもより強めに誘われ、しぶしぶ顔を出すことに。

パブに着くと、以前のクラスメイトであるRocioや講師のRaulがすでに始めていて、聞くと彼等も一時間早く授業を切り上げたとのこと。
安ビールをちびちびやりながらお座なりに年末の予定なんかをRocioに聞いていると、どうやら今年の授業は今日で終わりということが判明。
危ない危ない来週も登校するところだったとか何とか思いつつも、まるまる2週間もあるこの冬休みという空虚を埋める用事も情熱も見つからず、ただひたすら英語の上達と体力の回復に努めるのだろうなという安直が頭を埋め、一人とぼとぼ帰路に着きました。

ちくしょう外はまた雪。
いよいよ泣けてきます。

2009年12月9日水曜日

ヒャッホー!!


小学生のように浮かれながら観てきたよ。消化試合を。
チャンピオンズリーグの。
チェルシー戦。
この前何年かぶりにスパイクを買った時もそうだったけど、サッカーに関わるとついつい顔がニヤけて童心にかえっちゃうね。
今回は風邪をひいてるというのにRaulと二人で声をからしながら盛り上がっちゃったよ。

ピロリ・ピロリ・ピロリ・ピロリ・ドンドンドンドン・(一拍)・チェオスィー!!!

いやあ楽しかった。
おかげで風邪は長引きそう。
さっそくみんなに自慢しよう。

2009年12月5日土曜日

グッド・サタデー


今日はTate Modernという美術館にデートに行きました。
週末のデートはロンドン初ですが、相手は見事にLaulaではありません。
今週から一緒に暮らしているカワイコちゃん姉妹です。

悪い癖で、見た目の若いコと一緒に行動をするとついつい振る舞いが「先生」、もしくは「コーチ」になってしまいます。
かと言って可愛さのあまり抱きしめちゃったりしようもなら、こちとら正式な中年なのでしっかりと刑事罰をくらうことになるでしょう。
立ち位置としては年頃の娘を持った「父親」、もしくは金銭的な投資と性的な見返りのない「パパ」といったところでしょうか。

美術館では妹がちょいちょいはぐれてました。
ちなみに名前は「ステファニー」で正解。ただしあだ名が「ピーフィ」であることが判明したのでそっちで呼ぶことにします。

鑑賞中は足腰の疲労と好みの違いを感じながら、初デートに美術館は向いてないなという思いを噛みしめて、目の前のアートではなくピーフィの監視に集中してました。
しかもこのコ、全館撮影禁止の中、ちょいちょい監視員の目を盗んでは写真撮ってるんだよなあ。
まあピーフィの場合、見つかったところで「子どもなので」と言い訳すれば大目に見てくれそうではあるけどね。

最終的にはお姉ちゃんのカタリーナの方が腰の痛みを訴えてくれたので、芸術鑑賞は終了にして、美術館の裏手、テムズ川付近のスタバで軽食を取りました。
結局このときのおしゃべりが一番楽しかったかな。

ただしこの時、入国7日以内に警察署で登録カードみたいなものを作る義務があることや、病院代が無料になるという保険に加入すべきだということが判明。
あらあらちょっと心配。
とりあえず月曜になったら学校に聞いてみよう。

フラットに戻ってからはピーフィが軽い食事を作ってくれました。
まるで可愛い妹を持ったような気分です。
そっか、「お兄ちゃん」でいいんだ。立ち位置。
とりあえず「パパ」はねえわな。

写真はテムズ川の対岸の、カタリーナいわく「たぶんビッグベン」

ナイスカップル


金曜の授業後は夕方クラスの生徒と講師を中心に、近くのパブで立ち飲みをするのが恒例になってます。
自由参加なので出たり出なかったりだけど、昨日はRocioと共に3週間ぶりに寄ってみました。
途中から、来週以降僕が出席することになるクラスの、ナイスガイ・コロンビアンも交じって、ビールを飲みながらRocioの旦那を待ちました。
どうやら「この後デートに行く」みたいです。

日課になっているRocioのノロケ話のおかげで、意識の中ではすっかり「知り合い」になっていた旦那と一度は会ってみたいと思っていました。
そして実際会ってみてなかなかのナイスガイでした。

うちのフラットメイトも今週までのクラスメイトも、コロンビア人が二人以上集まれば僕がいようと構わずスペイン語で会話を始めますが、この日の二人のナイスガイは、そしてRocioまでもが英語で会話をしてくれました。
とはいえ日本語での会話であっても酒が入ると集中を欠いて相手の言ってることが分からなくなるに、英語ともなるとその傾向は尚更で、さらには彼らのラテン訛りも手伝って途中からは僕の愛想笑いが増えました。
でも楽しかったけどね。

長話でデートを足止めさせてごめん。

この写真をfacebookに載せるようにRocioに頼まれたんだけどやり方がわからない。ごめん。
あと旦那の名前を聞いてなくてごめん。
もう一人のナイスガイ・コロンビアンの名前も覚えてない。ごめん。
ごめんごめん。
めんごめんご。

2009年12月4日金曜日

彼女いわく、コロンビア人は太っちょばっかし。


舌の根も乾かぬうちに、いや違う、
喉もと過ぎれば熱さを…違う、
泣いたカラスがもう笑う。これかな。

大好きなErikaが去った翌日、もともと先に出て行ったアメリカンと二人でシェアしていたその空き部屋に、コロンビア人のカワイコちゃん姉妹が引っ越してきました。

お姉ちゃんがカタリーナ。妹がステファニー、だったかなあ。ちょっと覚えてない。Sが入っているのは確か。
お姉ちゃんはパッと見、20歳くらいのイケてるコ。妹はお姉ちゃんとあまり顔が似てないけど、小学生くらいの可愛らしい子ども。

この姉妹と話しているときに年齢の話題になり、常に10歳ほど若く見られる僕の年齢を教えると、ここでもやはり驚かれ
「冗談言わないでよ!」
と大袈裟にリアクションされました。
僕が二人の年齢を訊き返すと、カタリーナの方が
「妹の年齢、当ててごらん」
と。
幼く見られるのは嫌がるかなと思い、気を遣って
「14歳?」
と尋ねると、正解はなんと「19歳」。

結構なサプライズだったので
「ロンドンに来て以来、一番の驚きだよ!」
と大袈裟なリアクションを仕返ししてやると
「おまえがだよ!!」
と二人声をそろえて突っこんできました。
姉妹だねえ。

ちなみにお姉ちゃんは25歳。
顔が可愛いんだけど、いかんせん脂肪がつきすぎ。

本人もそれを自覚しているらしく、僕にダイエットのための食事の摂り方を尋ねてきました。
英語でもスペイン語でも説明をするのが難しいし、夜も11時をまわってそこそこ眠かったので面倒くさかったのですが、結構熱心に教えを乞うてきたので、頑張って英語とスペイン語とポルトガル語を混ぜながら話してあげました。

炭水化物、脂質、たんぱく質の基本的な摂取のタイミング。
それらが消費される優先順位。
成長ホルモンとインシュリンの分泌について。
などなど、基本的な部分を説明して最後の締めくくりに、
「運動直後と就寝直前は炭水化物を摂らないこと」
と言うと、真面目な面持ちで頷きながらココアをすすってました

ちなみに昨日も就寝前にコーラをがぶ飲み。
えへへ、とはにかんだのが可愛かったので許します。

南米人はそれくらいのルーズさがちょうどいい。

2009年12月2日水曜日

愛すべきコロンビアーナ


今日はLaulaの誕生日。
最近、様変わりしたクラスメイトの顔ぶれの中で、人妻Rocioと共に初期からいるメンバーの一人。
ちなみに今のクラス構成はこの二人のコロンビアーナと三人の中国人男性。

笑うと歯茎がくっきりチャーミングなLaulaは常に白目が血走っていて、彼氏の話題になると必ずボロクソにけなすカワイコちゃん。
誰も望んじゃいないのに1日2回の割合で旦那ののろけ話を浴びせてくるRocioをちょっとは見習いなさいよ。

付け加えるとこのコは毎週のように土曜のデートに誘ってきて、10割の確率でドタキャンをするスッポカシのベテランでもあります。
今週も誘われているけどどうせまたキャンセルだろうな。

「今日で何歳になった?」
の質問に対して実年齢より若い
「21歳」
と答えてましたが、この手の小ボケは世界共通のお約束なんでしょうか。
ただしLaulaの場合、ほとんどのコロンビア人と同じく元々が若く見えるから、わずか4歳程度の詐称はボケかリアルかわかりづらい。
ほらみろ。中国人たち、信じちゃったじゃないか。

とはいえ誕生日おめでとう。
何度すっぽかされても誘いにはのってあげるから、ディープな溜息でプリントを机から吹きとばしたり、それを講師のRaulに拾わせたりするなよ。

2009年12月1日火曜日

あれは確か11月の第二土曜日だった。


靴下に穴が空きました。
福岡で働いている時、誕生日に部下の『トビ』からもらったものです。
フットサル用のストッキングだったんですが、お気に入りだったので日本にいる時からヘビーローテーションではいていました。
イギリスに来てからは、サッカー用のソックスはこれしか持ってきてなかったので毎朝使っていました。
新しいのを買いには行くけどこれはこれでまだ使うであろう僕は、一年以上過ごした福岡での最後の日を思い出します。

荷物の積み終わった車に乗って岡山に転勤する日の終礼のことでした。
やはり事務所であり自宅である一軒家の一室で、最後の感謝と激励の言葉を一部署の長である僕から部下たちに贈り、うまい具合に締めようかななどと思ったときに、部下の一人、『ヤンキー』が
「俺らからも最後、キッチーさんに言葉を贈らせてくださいよ」
と、泣ける申し出が。

照れながら「わかった。じゃあよろしく頼むわ」と促すと、みんなのいじめられ役である『トビ』が駄々をこねながらもそこそこ厳かな空気の中、トップバッターに。

「えー、キッチーさんには立ち上げのときに採用してもらい、この一年ちょっとの間、僕は常日頃からキッチーさんに『おまえは社会人として、だけではなく人間としても最低だ』と言われ続けてきましたが・・・」
という、いきなり我ながらの毒々しさを再確認させられる切り口で、「これは笑いどころのなのかな」と微妙な空気に戸惑っていると、『トビ』の目にははっきりと涙が。

「…『最低だ』と言われ続けてきましたが、僕にとってキッチーさんは…最高の…うっ…ううっ…(嗚咽)…最高の上司でした」
涙を浮かべ、そして涙をこぼしながら、上司冥利に尽きる言葉を言ってもらい、本来お涙ものなんですが、いかんせん普段から「人間としても最低」と言われていた部分がコントじみていてひっかかり、笑いそうになるのをこらえてました。

そこへ『ヤンキー』のとどめの一言。
「いや、正確には『最低より更にちょっと下』って言われてたよ」

ブフゥッ!
鼻水が出かかりました。

「あ、そうだった。普段から僕はキッチーさんに『最低よりちょっと下』って言われ続けてきましたが…」
などと『トビ』もご丁寧に言い直す始末。
このあと『ヤンキー』の
「おまえが先に泣いたからキッチーさん、泣けなかっただろ!」
という理不尽な説教まで飛び出して、しみったれた空気は一気に和みました。

終礼が終わってから車に乗り込んだ僕を部下たちがみんなで見送ってくれた時、『ヤンキー』が数日前に僕から貰ったアンマンを「餞別です」と言って僕に渡したのは天然なのか何かわからなかったけど、別れっていうのはこんな感じがちょうどいいな、なんて思ってました。
アンマンは固くて食えなかったから山口のパーキングエリアで捨てました。

ちなみに何だかんだで彼らとは未だに連絡を取り合ってます。
今年の夏も宮崎の海で遊びました。
たぶん次会うのもサーフィン絡みだろうな。