2009年12月30日水曜日

来るもの去るものの時間と場所


最近のフラットの状況。

サミーが中国に行っている間に僕の部屋には元クラスメイトのダメな中国人が引っ越してきて、その困ったちゃんな言動でコロンビア人たちを動揺させています。

マダガスカル人のスーフィーちゃんは知らない間にフランスに帰国してました。フランスがホームタウンらしい。

この前エジプトに旅行に行ってた隣の部屋のコロンビアーノ、ファビアンはまたどこかに行っているらしく、ロンドンには戻ってくるがたぶんこのフラットには戻ってこないとのこと。

サミーは予告通り今月の中頃戻ってきてソファー暮らしをしていたけど、最近はピーフィーといい感じでたぶん同じベッドで寝ています。(えー!チン毛も生えそろってないガキだぜ!だから生えてないし生えてるって。しつこいか。)
同じ部屋でカタリーナも寝てるのに。

そのサミーは家庭の事情で明日、早朝のフライトで帰国するため、早ければ今日の夜にはお別れ。
その明日にはカタリーナとピーフィーも新しいフラットに移るため、ここを出ていきます。

このフラットは来るもの去るものの多い場所ですが、僕は19歳からの一年間、ブラジルのプロサッカーチームの寮という、それこそ出入りの激しい場所で暮らしていました。
戦力外通告を受けて故郷に帰る者や出場機会を求めて他のチームに移る者、別の職業を目指して引退する者など様々です。

仲の良かったチームメイトたちをさんざん見送りながら一年が過ぎると、今度は僕が去る者の側になりました。
地球の裏側へ離れてしまうというその物理的な距離を思い、
「一生再会のしない別れはお互いにとって相手は『死んでしまった』ことと同じじゃないか」
と青二才丸出しではあるが、若者らしく力強く悲嘆したことを覚えています。

約3年の月日が流れ、今度はペルーでの出会いと別れを経験するわけですが、帰国後数年が経ってから僕は僕を戦力外通告した監督に日本で偶然再会しました。

当時無職だった僕が夕方に面接を控えていた初夏の日のことです。
その年のU-17の世界大会で3位に入ったペルーの代表チームが来日していて、千葉県内のチームと調整試合を何試合かするというので、僕は当時ボランティアで教えていたサッカーチームの子どもたちと一緒に観戦しに行きました。

試合を観てると、数日前の一戦目でたかだか千葉県内だけのU-17に敗北を喫していたことが影響しているのか、前半からペルーチームの監督の檄が。
その声に聞き覚えが、そしてそのボディーランゲージに見覚えがあったので、ピッチサイドにいる知り合いの通訳に、スタンドから結構大きな声をかけました。

「ねえ!あの監督ってもしかしてカルロスでしょ!」
「ううん。オスカル」
ペルー前後の実経験を元にして書いた小説の中で、アキラさん以外の全ての登場人物に偽名を充てていたものだから間違えちゃった。

大声での間違いに照れながら
「そうそう。オスカル、オスカル」
と何が「そうそう」なんだかわからないことを呟いて大人しく最後まで観戦してると、試合終了後、その通訳がピッチサイドから僕を呼び
「せっかくだからみんなで記念写真撮るっていうから子どもたち連れて降りてきて」
との申し出が。

写真撮影の後でオスカルと久しぶりの再会に握手を交わし、つたないスペイン語で近況を報告しました。
「俺、今、ボランティアで彼らにサッカーを教えてる。今、コーチしてる」
「うん」
「何年か経ったら、俺たぶん日本代表の監督する。そしてあなたのチームと戦う」
このままコーチを続けていつか日本代表の監督になってきみのチームと戦えたらいいね、と言いたかったんだけど、そんな簡単なスペイン語さえも言えない僕に対して、オスカルはきちんと把握したらしく、日本在住経験のある彼は日本語で
「勉強、勉強!(もっと努力しなさい)」
と返してきました。

初夏の西陽に目を細めながら、指導者を一生の生きがいに、そして仕事にしようと思った日の出来事です。
その後、予約を入れてたキャバクラのボーイの面接に行きました。


そのボーイから変な方向に話が転がり、バーの雇われ店長をすることになるのですが、その街が総人口に対してのヤクザ人口の割合がまあまあ高めのところだったのでその頃、変にヤクザに慣れました。

ところで僕以上の寒がりには未だに出会ったことが無いくらいに寒がりな僕が、驚いたことにロンドンの寒さに、ちょっとではあるけど慣れてきました。

慣れというものは面白いもので大体がこんなだと思うのですが、ブラジルでのさよなら以降、未だに別れというものにだけは慣れません。


ブラジルを離れる最後の日、寮の前で迎えの車を待っている僕に、朝の練習に向かうチームメイトやチームスタッフたちが次々に別れの言葉をかけ、そして別れの握手を求めてきました。

その中の一人、一つ下のカテゴリーのジュベニール(16、17歳の部)の監督が握手をしたまま僕に尋ねてきました。
「またブラジルには戻ってくるのか」

その頃、二度とサッカーをしたくないと思っていた僕は、そして前述の通り別れに悲観たっぷりだった僕は
「たぶんノーだ」
と答えました。
すると監督は握手のグリップを強めて
「たぶんイエスだ」
と言ってニッコリ笑いました。

今思えばただの挨拶的な常套句なのでしょうけど、このときのやり取りと、ペルーの監督との再会という実際が、後の僕をだいぶ身軽にしています。

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