2009年12月26日土曜日

あんとき


二つ目の「場違いパーティー」は『男前』の送別会です。

ジャーナリストである『男前』と出会ったのは、僕が以前勤めていた会社が悪い意味でメディアを賑わせていた時のころです。
元従業員への取材という形で僕らは出会ったのですが、その会社に幹部として復帰するという予定がこのメディア沙汰によってチャラになっていたのと、何よりその事件の渦中も渦中、ど真ん中にアキラさんがいたので、僕は新聞記者というものに薄っぺらい敵意を抱いていました。

その地域最強で無敗のアマチュアサッカーチームだった僕らが初めて公式戦に負けた、小雨の降る初冬の日のことでした。
当時、サッカーに関する勝ち負けへのこだわりは見事に大人げなく、更には極度の寒がりも手伝って、相当機嫌が悪かったことを覚えています。
試合後、知人を通しての紹介にも関わらず、僕は『男前』の取材に対して
「昔のことだからよく覚えてない」
の一点張りでした。

自分の車の前で、敵意むき出しに車内には入れず、お互い小雨に震えながら弾まない取材を受けていたのを覚えています。

今思えば取材のイロハなんでしょうが、埒が明かないので話題はサッカーの話に変わりました。
そしてその当時、僕の元チームメイトの日本人がペルーでプロデビューを果たして、それが地元の新聞に取り上げらていたのですが、それを取材して配信してくれていたのが『男前』であるということが分かりました。

態度はコロッと変わり
「まあ車の中に入れよバディー」
とでも言いそうな勢いで車に二人で乗り込み、駐車場に停めたままの車中で本題の会社以外のことを色々と話しました。

それがきっかけで、間近に出版を控えた小説の広告記事を全国に配信してもらったり、プライベートでも彼が当直の日曜に彼の職場の成田空港支局で、デッキからよりも優れたロケーションでの飛行機の離陸を眺めながら大酒をかっ食らうなんてことをしたり、僕にとって彼は大好きな友人になりました。

そしてしばらくしてから成田空港ではちょっとした事件が起きます。
CIAが何年も追い続けてるある国の要人が成田で入国拒否にあい、日本中を騒がせるという事件です。
その時、その人物のパスポート写真をあるルートから入手し全世界に配信したのが『男前』でした。
その結果、当時全世界2000人の従業員の中から3年振りにその通信会社の「社長賞」なるものを彼は獲得し、会社から出世を約束された形になりました。

後日電話で興奮していた彼が印象的です。
「というわけで僕、たぶんもうちょっといい場所に栄転することになると思うんで、キッチーさんも2作目が出来上がったら早めに教えてください。取材しますんで」
なんて普段は超低姿勢の彼が珍しく自慢げに語っていて、僕までもが嬉しくなったのを覚えています。

と思っていたら喜びも束の間、数週間後に彼は飲酒で事故って地方に飛ばされることが決定。
さすが俺の知り合い。底力が違うな。なんて感想は言わずに黙って彼からの電話の報告を聞いていると
「というわけでささやかながら僕の送別会を空港内の和食屋でやってもらうことになったので、キッチーさんも良かったら来てください。」

プライベートの友達がキッチーさんくらいしかいないんで、という口説き文句と、服装は普段着で全然構わないんで、という付け足しによりその送別会にラフさのような安心感を感じたので、とりあえずは伺ってみることにしました。

当日、半袖短パンにビーサンという出立ちで指定された場所に行ってみると、店内には自社他社問わず大勢の同業者がバッチリスーツ姿で集まっていました。
コンビニにヤンマガを買いに来たような格好の人間は当然僕一人で、挙句には
「こちら僕のプライベートの友人、作家の〇〇さん(作家名)」
とハッタリまがいの紹介を『男前』にされるある意味事故。飲酒事故。
悪気が無いだけに余計に始末が悪い。

とりあえず「作家とかいう大層なものでは全然なくてですね」と年上のちゃんとした感じのお兄さん方お姉さん方に説明というか言い訳をしながら、早めのペースでジョッキを空けていきました。

とか何とか言いながら結局楽しくて街中に移動した二次会のカラオケまでバッチリついて行ったけどね。
何故かジャーナリストたちは洋楽ばっか。
こっちも元バンドのボーカルというプライドがあり(文化祭と軽音部の定期公演会で2回演っただけ。しかも一回はパンク。どんなプライド。)負けずに出来るだけ綺麗な発音でハモってあげました。
みんなで歌ったビートルズやスタンドバイミーは楽しかったなあ。


追記
ちなみにその時の移動は余裕の飲酒運転。
もうぼくおとななのでそういうことはしませんごめんなさい。

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