昨日はクラスメイトに誘われてパブに行きました。金曜でもないのに。
ラウールとロスィオと今日から登校のラウラも混じって、新旧のクラスメイト達と楽しんできました。
パブに着くと近くのテーブルには同じ学校の違う時間帯の生徒も来ていたみたいですでに盛り上がってます。金曜でもないのに。
僕らのテーブルはと言うと、「美麗」という言葉がよく似合う気品漂ったブラジル人のアマンダと僕を除いて全員スペイン語圏の人間だったものですから、ちょいちょい会話はスペイン語で埋め尽くされ、理解不能な僕は大半の時間を同じくうんざりしていたアマンダとの会話に費やしました。
おかげで、ポルトガル語圏のブラジル人にとっては、実はスペイン語よりも英語を覚える方が易しいということと、彼女の身長が182センチもあることがわかりました。
あと、笑うとちょっとだけロナウジーニョに似ちゃう残念なところも。
仕事などの用事でちょっとずつメンツも減ってきた頃、やや親日家のラウールが日本の文化や習慣について色々話してきて、その中の感想にこんなものがありました。
「俺の日本人の生徒に『学校とプライベートは別』と言って、授業中はかしこまっているんだけど、一緒に飲みに行くと急に人が変わったようにフレンドリーになる。あれ、奇妙だよね」
僕の経験から言わせてもらうとこの手の人間は大抵が仕事のできない人間です。
語弊があるかもしれませんが、きちんとけじめをつけることやフレンドリーになることを悪いと言っているわけではありません。
普通は「仕事とプライベートは別」と言うところなんでしょうが、要はプライベートの時間に意識を向けて、自ら好んでこの言葉を発する人間は、大抵が仕事(勉強)に対して不十分な情熱しか持ち合わせていない人間だということです。
おそらくこの近年でテレビか何かから繰り返し発信されたこのフレーズがお手軽に浸透してしまったのだと思います。
その後、ラウールが尋ねた
「なぜ日本はサムライの時代からわずかの時を経てここまでパーフェクトに進化したのか」
という質問の答えもその「浸透」に鍵があるような気がします。
英訳が難しかったから、経験者でもないのに当事国であるということを盾に、戦争と「原爆」を用いて答えたけど、それ以前に日本には大昔から大陸の文化に憧れては真似をして自分たちのものになじませたという歴史があります。(歴史、不勉強だからあんまり語れないけど)
強制的に受け入れさせられたという戦後との違いはあっても、日本人の国民性の重要な部分を占める「恥に対する観念」を大きく変えるものでなければ、日本人は元々何でも受け入れることが上手な国民なんだと思います。
とは言え「恥の文化」のみならず、日本人の日本人たる所以(ゆえん)というものは当然全ての日本人が髄(ずい)の部分で持ち合わせているものであり、いくら「私たぶんラテンの血が混ざってるの」とか「私よく日本人っぽくないって言われるの」とごまかしたところで、「きみは『いなか者の』という冠が付いた方の完全な日本人だよ」って言ってあげたくなります。
他人の庭で必要以上に自分の色を強調することは無いけど、海外で日本人然としてない日本人を見ると
「おまえ、無理してないか」
「演技過剰じゃないか」
そして
「おまえ、海外でも日本でも日本人に対しても同じように振る舞えるか」
と余計なお世話な心配をしてしまいます。
おそらく彼らにも共通することだろうけど、ブラジルにいた時、日本人の優秀性を恥らう日本人というのは多くいました。
その優秀性の代表的な一つが「日本人は金持ちである」という実際です。
ラウールの母国、社会主義国のベネズエラではお金をたくさん持っていることを良しとしない国民感情があるみたいで、どの政治家もいかに自分が一般市民と同じような貧しい生活をしているかということをアピールすると言ってました。
しかしこの感情はもちろん共産圏にとどまらず、ブラジル人からも
「いいよな、日本は金持ちで。ブラジルにいる金持ちも大抵が日系人だよ」
とやっかみでよく言われていて、僕はよく
「当たり前だろ。勤勉な日本人とお前らみたいな怠けものが同じだったらおかしいだろ」
と答えてました。
またこんなことも。
チームのキャプテンが「医者の方が稼げるから」という理由でサッカーを辞めるような、サッカーを一職業としか考えていないブラジル人たちには、お金を払ってサッカーをしている(サッカー留学をしている)日本人は奇妙に映ります。
それを馬鹿にして
「なんでそんな高い金を払ってサッカーをしてるの?クレイジーなの?」
と嘲笑混じりに聞いてきますが、親に出してもらった金で留学しているという引け目を考慮しても、ほとんどの日本人がその嘲笑に対して気持ち悪いくらいの苦笑いを返すだけでした。
子どもたちにものを教える立場になってから自分の両親のおかしなところばかりが目につくようになったのですが、うちの両親の数少ない良かったところで「高校卒業したらただの居候」という立場を僕に徹底させていたのものですから、実際に高校卒業後、家賃を支払いながら実家に住ませてもらって一年間働いてお金を貯めた末に僕は渡航していました。
なのでこんなセリフを言われる度に
「てめえの金をてめえで好きに使って何が悪いんだ。言ってみりゃお前の給料は俺んとこからも出てんだぞ。感謝しろよ」
とよく返していました。
差別用語トランプやフルチン川遊びが楽しく出来たのも、そしてブラジルという国が未だに好きな国であるということも、こういった姿勢のおかげだと今では思っています。
なんて自画自賛していたら、少し離れた席の「同じ学校だが時間帯が違うグループ」にいつの間にか日本人の女のコが混じっていたらしく、何に憧れてそうしているのかはわからないけど、貧乏人がガっついたかのようなバカでかい声で必死に笑い続けてました。
日本人相手にも同じように振る舞えるかい。いや振る舞わないで。
あ、珍しい。ラウールが嫌な顔をしている。
日本人が日本人論を語り出したら切りが無いんだけど、しっかし日本人って外国人に説明しづらい不思議な民族だよな。
ラウールも驚いていたけど、平和な国なのに自殺者が多いし。
何の受け売りだか「長生きしたくない」って粋がる割には、別れに女々しく未練を持つし。
昔テレビで見たカトリックのイタリア老紳士が「死」に対して
「死ぬのは怖い。死ぬのは嫌だ。死なないで済むのなら橋の下で生活するのだって構わない」
とコメントしていたのは印象的だったなあ。
うちのじいちゃんも「もういつ死んでもいい」って言ってるけど本当は怖いのかなあ。
それともあの老紳士のコメントは特別なのかなあ。
とまあ、悪い癖で一つの対象からすぐに色々な記憶を引っぱりだしてはランダムに繋げちゃう。
こんなんだから授業にも集中できず置いてかれるんだな。
この回想癖め。空想癖め。妄想癖め。
そんな反省を持ちながら一人とぼとぼ帰り道。
シャッフルでかけたipodからはストーンズの『Wild Horses』が。
そうそう、この曲にも思い出があるぞ。
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