当時から少しずつ騒がれていたのに、うちの店はスケルトンの天井に石綿丸出しで、どこの審査にも引っかからずに、無事オープンすることが出来ました。
指導者の仕事に着く前、新規開店させたバーの話です。
内装業者の職人気質の影響か「アスベスト」のことを僕らは「石綿」と呼んでいて、彼らの用語の影響で「打ちっぱなし」のむき出しの天井を僕らは「スケルトン」と呼んでいました。
他にもネジのことを「ビス」と呼んだり、それを打つインパクトドライバーを「インパクト」と呼んだり、打つことを「ぶつ」と言ったり、覚えたばかりの言葉をすぐ使っちゃうハッチャケた子どものように職人を気取って僕らはそれらの用語を使いこなしていました。
「そこ、インパクトでビスぶって」
みたいな感じで。
「僕ら」と言ったのは僕の他にもう一人相棒がいたからです。
当時、僕がバーテンの練習をしながらキャバクラのボーイをしていたころ、今一新規バーのコンセプトを定め切れていない女オーナーに連れられて、いくつかの空き物件を見に行きました。
そのうちの一つで盛り場の主要道路から外れた物件がありました。
キャパは50坪ほどと広いのですが、いかんせん人の流れから完全に外れたところにあるものですから、オープンする店がことごとく短期間で閉店していくことで有名な場所でした。
しかも広いものだから家賃は高い。
そして僕と女オーナーの意見も一致していて
「ここだけはやめておきましょうね」
というものでした。
それがどういうわけか数日後の昼間に女オーナーから電話がかかってきて
「今、『ここだけはやめとこう』って言った店に、木村さん(仮名)と一緒にいるの。契約の話をこれからするところなんだけど大事なことだからキッチーさんも今から来てくれる?」
と言われました。
木村さんというのは僕をこの女オーナーに紹介した知り合いの不動産屋の社長のことです。
何故、そんな不思議なことに?とも思いましたが、現場に着いて二人のやり取りを聞いていると、木村さんの管理物件であるこの貸し店舗を、女オーナーが押し切られるような感じで借りることになっている、というような空気を感じました。
そんなんでいいの?
結果、「家賃が高いから内装費を100万以内に抑えて」とか「私一人じゃ無理だから誰か共同経営者になってくれる人を探してきて」という無謀な要求が女オーナーから飛び出たので、僕は不動産業だけでなく内装業もしている木村さんにこの二つの件をお願いをしました。
で、結局木村さんが「うちが内装を全部担当できるなら」という条件で渋々共同経営の件も承諾するのですが、その直後、女オーナーが「体調不良」を理由にこの話から降りると言い出しました。
さすがに全面経営は難しいということで木村さんも降りかけたのですが、僕の方はすでに面接で採用者も決めていて、中には今勤めているバーを辞めてこっちに来てくれるという人間までいたものですから、こっちとしてはそれを認めるわけにはいきません。
その後、木村さんの紹介で何人かの経営経験者に話を持ちかけたのですがことごとく断られ、最終的には木村さんが負い目を感じたのか、僕がその店のマネージャーになるならという条件で、経営を受け持つことになりました。
その時に
「そりゃあ、他人がやるからこの物件勧めただけでよお、内装もうちに依頼するだろうから儲けられると思ったし、自分がやるんだったら絶対こんな場所選ばねえよ」
と堂々と僕に言ったのが印象的でした。
ちなみにあの女オーナーが土壇場でトンズラを決め込むことはこの世界では結構有名なことだということを、後に知り合う広告代理店の『ブーちゃん』から教わりました。
『ブーちゃん』は広告代理店の個人経営者で女性なのですが、そのあだ名とはかけ離れたなかなかのべっぴんさんで、モーニング娘の誰だったかに似てるとかで、彼女らの冠番組にそっくりさんで出演したこともあるチャーミングな肝っ玉姉ちゃんです。
ブーちゃんから女オーナーの簡単にトンズラこく習性を聞いて「だから簡単にOKも出したんだ」と不思議に納得しました。
ところで何故「絶対こんな場所選ばねえよ」と言ったのにも関わらず、その店舗での立ち上げにこだわったのかと、そのころ疑問に思っていました。
前経営者が追い出されるような形でその店舗を後にして、もともとプールバーだった店内が何も片付けられていない状況を見て驚いたことを、宅建の資格を持っている前科に言うと
「木村さん側の責任(契約違反等)で前経営者が出ていくことになって、管理会社である木村さんはビルのオーナーに毎月いくらかずつ支払わなくちゃいけないから、それよりは店舗を無駄に遊ばせずに自分で経営した方がいいと思ったんじゃない。彼、内装業もやってるし。おまえを安く使える狙いもあったし。それなら中が汚いまんまというのも納得がいく」
という感想をくれました。
そこから店舗の清掃と改装が始まるわけですが、前日の面接で採用していた『ムーミン』という男前のハーフを捕まえて、二人で過酷な労働をこなしました。
こいつがその時の相棒です。
要らない柱を原始的にハンマーでぶち壊したり、電気の導線を一本いっぽん千切ったり、壁の色を全て塗り替えたり、床を貼ったり、カウンター、棚、その他諸々、ガスと水道に関わる以外のことを職人の好意のアドバイスを元に、全てムーミンと二人でこなしました。
その時の給料は0円。
朝9時からしばしば日付をまたぐくらいまでの長時間労働で準備期間1ヶ月、ムーミンは週休1日、僕は休み無しで働き詰めました。
そんなこんなで1カ月後にはオープンまでこぎつけたのですが、オープン直前の辺りから木村さんに対して不穏な空気を感じ始めました。
あまり人の悪口は言いたくないので具体的な例は避けますが、ただ「相手は自分を映す鏡」とはよく言ったもので、おそらくあの頃の僕も彼と同じく「悪い」雇われ店長だったような気がします。
なんせ従業員の給料の未払いをめぐって、従業員たちの目の前で木村さんと取っ組み合いの喧嘩をしたくらいですから。
翌日、何事もなかったように出勤したのは従業員たちに
「キッチーさんが辞めるんだったら、俺らも辞めますよ」
と言われたからです。
ただしこれは僕の人望うんぬんというものではありません。
パパイヤみたいな顔をした厨房担当の部下が
「だってキッチーさんが辞めたら誰があのオーナーとやり取りしなくちゃいけないんですか」と続けてました。
木村さんは、キャバクラのホステスだった当時の僕の恋人が「この街一番の嫌われ者」と評した有名人ではありましたが、まだバーの話が持ち上がる前に彼が男の価値についてこんな話をしてくれたことがあります。
「なあ、キッチーくんよ。男の価値はな、借金の額で決まるんだよ」
彼の当時の総融資額は確か3億円でした。
「だってな、こいつには3億返す能力がある、って認められたから3億借りることが出来たんだろ。昔俺が尊敬していたヤクザもんが言ってたよ。こいつは100万の男、こいつは1億の男、って値踏みするのはいくらまでなら金を貸せてそれを回収できるかっていう話だ、って」
おそらくはそのヤクザもんの受け売りの価値観だったのでしょうが、この哲学にはいくらかの理があると思います。
ただしこれを言った本人は借金をつくったまま女房子供を残して失踪してしまったという、何だかなあなオチもついています。
こんなことを思い出したのはブルーノに誘われてあみちゃんと3人で来たギグのバーのつくりがあの店と似ていたからです。
さすがに石綿は無かったけどスケルトンの天井を見ながらそんなことをぼんやり思い出していました。
横に視線を戻すとサウンドに合わせて踊るあみちゃんを見てブルーノが
「She is amazing.」
と何度もつぶやいていました。
おまえみたいな真っ当な男があんなアバズレに惚れるなよ、と言ってやりたくもなりましたが、このバーに来る直前にブルーノのフラットで軽食を取った時、リビングで踊り出したあみちゃんの表情を見て、僕も少し彼女を見直していたので
「I agree.」
と答えてやりました。
毎週このバーのギグに誘われているんだけど、毎週あのバーを思い出すんでしょうか。
そう言えば大麻話の思い出もあったっけ。
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