2010年3月10日水曜日

坂道とオレ物語


ここんとこ勉強が遅れ気味なので黒人たちとのサッカーは欠席して今日は一人で坂道ランをしました。
いつも通り後ろ向きでそこそこの距離の坂道を登るわけですが、坂のてっぺんからは公園の景色がよく見えます。

爽やかな朝に愛犬家に散歩に連れられてきたたくさんの犬を見ながら
「どうせおまえらも飼い主より先に死ぬ」
と一人胸中で毒づいてしまいました。

とは言え当然犬は悪くありません。
飼い主も悪くありません。
限られた枠の中でただただ人間が出来事を楽しんだり悲しんだりしているだけの話です。
きっとそれが人生というものでしょう。

愛犬の死のせいでそんなしみったれたことを思いながら後ろ向きに坂道を上っていたわけですが、ふと十代の時に何かで読んだ、国力の衰退と文化の繁栄についてのある著者の哲学を思い出しました。

歴史をひも解くと、その国の文化が繁栄するのは決まって軍事力が衰退していく最中のことらしく、人間個人に焦点を当てた場合も、がむしゃらに上だけを目指して坂道を上っている時よりも、何かに挫折したり諦めた時、つまり坂道をゆっくりと降りていく時ほど足元や周りが見えて文化が身についていく、という内容のものだったと記憶しています。

これを読んで感受性バリバリだった10代の僕は「じゃあ俺は上だけでなくしっかりと足元も確認しながら坂道を登っていきたい」と生意気にも思ったわけですが、それはまず不可能というもの。
そんな甘っちょろいことを言ってるから勝ち負けの世界に身を置けなかったのでしょう。

ただし今日、後ろ向きに坂道を上るのはある意味一つの解決法ではないかと思いました。
スピードは遅いけど足腰も強くなるので長い目で見ればその意味でも良し。
もちろん遊びの精神を浮遊させただけなので、特に哲学的に結び付けたわけではないし、仮に結びつけられたとしてもこの形があるべき姿とも思ってないのだけれど「足元や周りだけでなく上を見たくなったらどうするの?」との自問自答には
「振り返ればいいじゃん」
と簡単な答えを用意しておきました。

実際これくらい僕の人生は簡単でしたし、この先もこれくらい簡単なような気がします。
人生って言うのは大体こんなふうじゃないでしょうか。

裏を返せば僕は前向きな生活の中で何度も後ろを振り返ってきました。
抽象的な振り返りではなく、昔横浜に住んでいたころ、ばあちゃんちからの帰り道、奇しくも坂道の上から手を振っているばあちゃんに対して後部座席から後ろを振り返り、彼女が見えなくなるまで手を振り返していました。

それに通じるものがあるのか僕は電話を自分から切るのが苦手なタイプの子です。
大小様々な別れの中でかなりの高確率で後ろを振り返ってきた子です。
車を運転しているときはバックミラーで後ろを眺めてきました。

それを幼さや弱さと表現するのなら喜んで受け入れましょう。
僕は弱っちいから何度でも後ろを振り返ります。
本当は、だからこそ人生が簡単だということも薄々感じています。

ただしこれは時間の観念や自分個人の文化に対してのもの。
人間関係においては、視野の使い方だけで語るのは足りなすぎる。

こんなことを一々考えてしまうのも愛犬のせいでしょう。

しみったれてくるのでパソコンの壁紙を他のものに変えようか今悩んでいるところです。

0 件のコメント:

コメントを投稿